■ 贖罪(5)

 ……だいぶん、表情が戻ってきてるわね、とオリヴィエは思った。

 リュミエールの状態は安定している。悪く言えば、膠着したままだ。

「……そろそろ、いいかしらね」

 オスカーはそう呟いたオリヴィエの方を振り返り、それからその表情を怪訝そうに見た。

 オリヴィエの顔から、笑いが消えている。

「アンタさ、おかしいって思ったことなかった?」

「……何がだ」

「リュミちゃんが、こんな―――事、した、ってのが」

「―――――」

 誰もが思い出さないようにしていた、苦い思い出。オスカーは紅茶のカップを下ろした。

「……みんなが哀しむってさ、わかってたはずなのに。誰かが哀しむのを知ってて、自分の我侭を通すような子じゃなかった。」

「―――れは、俺が――――」

 俺があいつを追い詰めたから。

「アンタが?何をしたっていうの?ただちょっといつもの口喧嘩が度を過ぎただけでしょ?」

「ちょっとじゃない。俺は――」

「ちょっとだわよ。リュミちゃんそんなに弱い子じゃない。この世から消えてしまえって言われてホントに自分の役目をほっぽりだすほど弱い子じゃなかったはずよ」

 アンタそんなことも忘れたの、とオリヴィエの言葉が続く。オスカーは膝の上で眠るようにもたれるリュミエールの顔を見た。

 

 思い出す、昔の、リュミエールが「生きていた」頃の、会議の風景。

 よくオスカーはリュミエールと言い争いになった。言い争い、という言葉は似つかわしくないかもしれない。声を荒げているのはオスカーの方だけで、リュミエールの口調はいつも静かだ。

 けれど芯の込められた、優しくともはっきりした声。けして自分の主張を曲げようとはしなかった。

 時々は、オスカーも驚くような、厳しいとも思える案を出した。実行された提案はいつもその惑星にとっていちばん優しい結果になった。

 表面だけの甘さではなく、本当の優しさを知っている。―――昔、密かにそう感心したものだった。

 最近は、確かにそんなことも忘れていた。リュミエールを見るたび、自分の内で強くなる恋情の炎に焦がれ、何も考えられなくて―――

 

「……じゃあ、何故」

ぽつり、とオスカーが呟く。

「……アタシもね、いろいろ考えたし、いろいろ調べたけど、あの日までのリュミちゃんには何も変わったことなんてなかった。」

 しょっちゅう下界に降りているオスカーと違って、リュミエールは私邸と宮殿を往復するだけの実にシンプルな生活だ。オリヴィエが事件までのリュミエールの行動を逐一調べられたのもそのせいに他ならない。

 結局、出された結論は、「何も異常はなかった」という事だけだった。

「アンタの言葉が、あの事件の――きっかけになったのはたぶん、事実。」

 オスカーはその言葉に唇を噛んだ。リュミエールの白い首に視線が行く。

 塞がったけれど、消えない、左首の傷。

「でも、同じ言葉を『アンタ以外の』人間から言われても、こうはならなかったと思う」

 

 オスカーは膝上のリュミエールの方を向いたまま―――硬直したように見えた。

 

 すうっ、と、その顔色が消えていく。

「……どういうことだ」

「ねえ、一般的に言って、酷い言葉を掛けられたくない相手って、その人にとってどんな相手かしらね」

「……めろ」

「例えばアンタがリュミちゃんから同じ台詞を言われて、他の人間から言われたのと同じようにしか感じない?」

「止めてくれ」

「止めないわよ、もしホントに『そう』だったらリュミちゃんが可哀―――」

 オリヴィエは驚いて言葉を切った。

 オスカーが両手に顔を埋めている。

「止めてくれ――――後から、ちゃんと、ゆっくり、考えるから」

 此処でこれ以上聞いたら、正気を保てそうになかった。

「……わかったわよ………でも多分、アタシの考えは」

 間違ってないと思う、というオリヴィエの言葉は、どこか遠くで響いているように感じられた。

 

 リュミエールを抱えてオリヴィエの執務室から出、そのまま私邸に帰った。

 ここ何日かは明るい表情を見せるようになった主人が、事件直後のような酷い顔色に戻っている事に使用人の誰もが気付き、心配してオスカーに寄ろうとしたが。

 オスカーは食事も酒も断って人払いをし、リュミエールを抱えたまま私室に入った。

 まっすぐ寝室に入り、ベッドにリュミエールを横たえた。脇に座る。

 2人だけが在る、静かな部屋。明かりもつけず。

「…………」

 反芻するまでもなく蘇るのは、さっきオリヴィエと交わしたばかりの会話。

 それから、あの森の湖で微笑むリュミエール。

 目の前で横たわる、愛しい人を見る。

 リュミエールの頭の両脇に手をつき、顔を覗き込むようにオスカーは身体を傾けた。

「……えも」

 オスカーの声は、掠れて震えていた。

「お前も、俺のことが好きだったのか……?」

 言葉にしたそれは、オスカーにとって酷く違和感があった。

「嘘だろう……?」

 視線をリュミエールから外さないまま、唇の端を引きつらせて、くっくと咽喉の奥で笑った。

 冷笑は闇に消え、沈黙が部屋を支配した。

「…………本当、なのか」

 もう、表情は笑っていない。笑おうとしても笑えない。

「本当に、俺のことが好きなのか」

 胸が、痛む。

「なら、どうして答えない」

 リュミエールの顔を覗きこむ。変化は、ない。

「俺のことが好きなら……っ」

 ゆっくりと、リュミエールの上に覆い被さる。

 

「俺がこんなに願っているのに、何故お前は目を覚まさないっ………!」

 指を絡め、強く握り締めた。

 

 この広大な宇宙の、永遠の時間の中。

 貴方に出会えた奇跡に、感謝します。

 

「お前がいない宇宙など、俺にとって何の意味もない………!」

 強く、強く抱きしめた。

 

 さようなら。

 

 

 オスカーへ

リュミエール

 

「一人で逝くなど許さない……」

 リュミエールの耳元で、震える涙混じりの声で。

 

 リュミエールの顔を見る。

 深海色の目は、開かない。

 

「答えろよ……!」

 

 もう、駄目だ。

 

「リュミエール……!」

 言葉は、悲鳴になった。

 

 追伸:

 何も言わず、終えようと思ってました。

 でもやはり、そう上手くいかないものですね。

 

 自分が壊れるのがわかっていて、口に出せなかった言葉。

 でも、もういい。

 もう、壊れてしまえ。

 

 最後に、一つだけ、私の我侭を許してください。

 ただ一度、貴方への想いを、言葉に綴ることを。

 

「愛してる………………!」

 

 愛しています。オスカー。

 

『…………て、…ます』

 

 幻聴だと、思った。

 

「……ています、オスカー……」

 

 耳を打つ、優しい声音。

 目の前で、かすかに動く、桜色の唇。

 

 閉じられたままの目尻に、涙が浮かんで月光を吸い、……零れ落ちた。

 

「………愛している、リュミエール」

 

 麻痺する脳で、オスカーはただそれだけを囁いた。

 

 優しい声が、答える声が、

「……ずっと、言いたかった……」

 返る。

 

「愛しています、オスカー………」

 

 ゆっくりと、涙に潤んだ深海色の瞳が、開かれた。

 

 

 爆発するような炎のサクリアと、花が開くような水のサクリアの波動が、一瞬にして聖地中を駆け巡った。