■ 贖罪(3)

 女王陛下より下賜されたる水の守護聖の責務を、全くの個人的な理由により、半ばにして放棄せんとすること、心よりお詫び申し上げます。

 

 私亡き後の次代の水の守護聖が何処に見出されるかを、海洋に満ちた惑星よりの水の守護聖の輩出が多いこと、および現在の惑星ごとのサクリアレベルなどから推測し、リスト一覧として別紙に用意しております。

 王立研究員の調査方にお渡しいただけますようお願い申し上げますと共に、次代の水の守護聖の早期発見と宇宙の安定を一刻も早く確保できるよう願い、自ら去る身にて僭越至極ながらお願い申し上げる次第です。

 水の守護聖の執務に関する引継ぎ事項は、執務机の最下段の引き出しにまとめておきました。各惑星の水のサクリアは暫く安定していると思いますが、資料5枚目までにある惑星に関しては1か月以内に水のサクリアの要求があると思いますので、しかるべく対応するよう次代にお伝え願いたく存じます。

 

 私の罪状に関する決定は女王陛下と守護聖の皆様のご意志の下、如何様にもご処分いただきたく思います。

 ですが重ねて、今回のこの事態は全て私の個人的な理由によるものであることを申し上げたく思い、また今まで私に手を貸してくださった水の守護聖付文官、武官、水の館の使用人の方々には一切の責が及びませぬよう、また今後の彼らの身の振りに関してありうる限りのご配慮をいただきたく、ここに強くお願い申し上げます。

 

 穢れたる罪人の口の端に昇りてもなお神々しき、我等の女王陛下に光あらんことを。

 

リュミエール

 

 なぜ、自分のあるべき立場を捨ててまで、このような選択を取らざるを得なくなるまで、何故そこまでこの想いが大きくなったのか。

 それに関しては、今この時、あえて紙面を割いて綴らなくてもよいことだと思います。

 対のサクリアだとか自分に無い性質だとか、そんな理論付けはいくらでも出てくるけれど。

 

 結局、理由などないのです。

 想いが育つには。

 

 そしてそれを止める術など、私にも誰にも、女王陛下が統べる広大なこの宇宙を探し尽くしても、何処にも存在し得ないのです。

 

 だからきっと、これは私自身の罪なのです。

 想いが芽生えていった、その土壌である、私自身の。

 

「リュミエール!」

 ストレッチャーに乗せられ医師たちに囲まれて運ばれていく姿に追いすがろうとするオスカーを、オリヴィエが掴んで離すまいとする。

「やめなって!アンタが追ってももう邪魔なだけだよ!」

 振りほどかれそうになるのを必死でとどめる。

「リュミエール!嫌だリュミエール!!離せっ……リュミエール!!」

 半狂乱の炎の守護聖に、周りの言葉はすでに届いていない。

「リュミエール!リュミエール!!」

 残っていた医師が2人がかりでオスカーの片腕を抑え込み、液体を注射した。

 それでもしばらく暴れていたオスカーの体から、急に力が抜け、床に崩れ込む。

 すかさず続けてもう1本、注射が施された。

「これでしばらく、そうですねだいたい8時間くらいは眠ったままだと思います」

「アリガトさん、助かったよ。」

 軽く言ったが、オリヴィエの表情は厳しいままだ。

 抱えられて運ばれていくオスカーの姿を見ながら、少し、無言の時間が流れる。

「……リュミエール、正直言ってどうだと思う?」

 近くに残っていた医療部の人間にそう聞く。

「……普通の人間であれば、まず、絶望的な状態です……」

「………」

 オリヴィエは唇を噛み締めた。

「ただ、守護聖様が創傷を受けた場合、その方の持つサクリアが良い方向に働く可能性も……しかしすべて推測です、なにしろあのような重傷を受けた守護聖様に関するデータなど、ほとんどありませんので……」

 それはそうだろう。ここは外界の悪意から隔絶された聖地なのだ。

「それと、もう一つ」

 言いにくそうにしているその人物に向かって、オリヴィエは話を促した。

「傷病からの回復というのはその方の精神状態にひどく左右されるんです。一般に、病は気から、と言われているあれですね。自殺企図であった場合……」

 であった場合、と言いつつ、リュミエールの自刃であったことは状況や傷の具合から大体察しているのだろう。言い辛そうに、小さな声で続けた。

「……確実な回復は、あまり期待できません……。」

 

 

医療部報告書

 

………………………

 

……時、患者が緊急搬送。

左頚部刺傷。幅約4センチ、深さ視診にて測定できず(詳細な部位に関する図を別紙に記載)。創傷部位から拍動性の出血を確認、創傷部より近位の総頚動脈を手指にて圧迫、出血量の減少を認める。創傷は自傷によるものと見られるが他の逡巡創は認められず。顔面蒼白、手指末梢にチアノーゼ。

意識レベルJCS?−300、GCS3点。

頭部後屈法により気道確保。間欠性呼吸、約10回/分。口腔、食道内に少量の出血を認める。直ちに気管挿管ののち高濃度酸素によるCPPV(持続的陽圧換気)にて強制換気を開始。PEEP(呼吸終末時気道陽圧)5cmH2Oに設定。

橈骨動脈、健側の頚動脈、大腿動脈、すべて触知せず。聴診にて微弱な心音を聴取した。BPM(分時心拍)約20。Trendelenburg体位をとる。

末梢輸液路の確保が不可であったため中心静脈穿刺により直ちにエピネフリンを投与、急速輸液、アルブミン投与を開始。輸液は生理食塩水500ml、5%ブドウ糖液3500ml混合液。輸血はA型濃厚赤血球10単位をクロスマッチ試験施行、判定ののち投与。のちに10単位を追加。

手術室に搬送、直ちに創傷部の緊急縫合術を開始。ECG(心電図)、手術経過表を別紙に添付。

左側総頚動脈、総頚静脈を吻合、縫合部を確認した上で圧迫部を除去。総頚動静脈に血流の軽度再開を認めた。左側胸鎖乳突筋内側3/4断裂、左側頚部リンパ管完全断裂、上部食道軽度損傷、左側副神経軽度損傷。頚椎、迷走神経には損傷を認めなかった。全て吻合。術野の洗浄を行ったのち開創部を縫合、術式終了。

手術終了時所見、BPM43、呼吸はCPPVによる強制換気にて30回/分。心電図を別紙に添付。総輸液量1000ml、総輸血量12単位(約2400ml)。JCS?−300、GCS3点と変化を認めず。PaO2、77mmHg、PaCO2、41mmHg。そのほか血液学的所見を別紙に示す。

 

………………

 

術後1日目 脈拍を健側頚動脈にて触知。血圧72/49。意識レベル回復せず。対光反射、直接、間接共に左右で微弱。栄養点滴を持続。BPM103、呼吸数CPPVにて20回/分。

 

………………

 

 

 目を開けた。寝慣れてない、固いベッドの感触。私邸でも執務室の仮眠室でもない天井の光景が目に入る。

「お目覚めかい?」

 派手な髪が視界を遮った。

「……オリヴィエ…?」

 声を出して言ったつもりだったが、渇ききった咽喉と口は部分的な発音しか作らなかった。窓から差し込む光は――朝日?

 ひどく痛む頭を回転させて記憶を辿る。不機嫌な自分のところへこの悪友が訪ねてきたこと。

 割れるグラスの音。

 自分の頬に触れた、白い手と、……血の感触。

 

 一瞬であの戦慄を思い出して、オスカーは跳ね起きた。

 

「リュミちゃんは生きてるよ!」

 すかさず投げられた言葉にびくりと身を震わせて、オスカーはオリヴィエを振り向いて見た。

「………とりあえず、生きてる。」

 とりあえず。

 その言葉の裏にこめられた意味を思って、オスカーはゆっくりと、強く唇を噛み締めた。

 水のサクリアの気配を辿る。確かに感じられたが、弱く細い、――頼りなげなものだった。

「……リュミエールのところへ行く」

「駄目だって、今は面会謝絶」

「行く」

「だから――」

「何度も言わせるな!」

 オスカーが怒鳴って、オリヴィエから差し出された水のコップを振り飛ばした。ベッドの上に落ちて、水が零れ、染みが広がる。

「……わかったわよ」

 オリヴィエは諦めた。止められるわけがない。

 リュミエールがいないのだから。

 

 想いは、私の内をどんどんと吸収して、奪い尽くして、大きくなっていきました。

 貴方以外の、ほかの事は、何一つ考えられなくなるくらいに。

 

「申し訳ありませんが、今は絶対安静で――」

 オスカーは剣呑な目で、医師らしき中年の男性を睨み付けた。とたんに身を竦める。炎の守護聖に睨み付けられて平気でいられるような一般人はいない。

 おずおずと、縋るような目付きでオリヴィエの方に視線を移す。

「頼むよ、コイツの言うとおりにしてやって」

 夢の守護聖にまでそう言われれば、他に寄る辺はない。

「わかりました、…治療室の中は感染防止のために無菌状態にしてありますから、完全滅菌してから中に入ってもらいます。部屋の中では咳とか大きな声や音を立てないでくださいね」

 オスカーは無言のままうなずいた。

 

 ですが土壌である私は、その想いが決して報われることのない事を知っていたのです。

 自分にだけは向けられない、貴方の微笑。

 自分にだけはかけられない、力強く、暖かく、思いやりの込められた言葉。

 報われない想いであることを知りながら、それでも育っていく想いを、私はどうする事も出来ませんでした。

 

 私達のそのような仲を、別に不思議とは思いませんでした。

 私と貴方は、本当に、可笑しいくらい正反対ですものね。

 

「……リュミエール」

 足が、手が震えた、一歩一歩近づく。

 顔を除く全身が毛布に覆われている。

 その隙間から、さまざまなチューブやモニターの計測線が伸びていた。

 左の喉に大きく張られたガーゼ。口から延びる、長い管。白すぎる顔。

 無残な姿で、静かに横たわっている。

 

 私は、弱い人間です。

 当たり前のような、その関係が、耐えられなかった。

 

 たった――

 たった何時間か前は、

 光を浴びて、俺の前で微笑っていたのに―――

 

 震えの大きくなる膝をなんとか動かして、最後の一歩を近づく。

 ゆっくりと、その場に膝をついた。

「………エール…」

 声が掠れて上手く出せない。

 毛布を少しだけ開けて、リュミエールの手を探した。

 見つけたそれに、ゆっくりと自分の手を添える。

 そのまま、自分の頬に押し当てた。

 

 貴方に嫌われてまで、この世に居たくない。

 当たり前であるはずの関係に、そう思ってしまった、私の罪です。

 

 全身が、引き絞られるように痛んだ。

 

「リュミエール……」

 白い手を頬に当てたまま、押し殺した声をかける。その時ようやく、自分が泣いていることに、意識の隅で気がついた。

「目を覚ましてくれ……」

 リュミエールの顔を見る。反応は、ない。

「俺が悪かった……だから、目を覚ましてくれ………」

 深海色の目は開かれない。

「リュミエール……!」

 オスカーの声が引きつった。

「許してくれっ………!」

 頽れるようにベッドの端に顔を伏せ、肩を震わせて泣き続けた。

 懺悔の言葉を何度も繰り返しながら。

 

 今日の昼、森の湖で貴方にお会いしました。

 嬉しかったです。

 珍しく貴方の言葉が私に柔らかく向けられたと感じたのは、私の心がすでに決まっていたからでしょうか。

 それでも、嬉しかったです。

 

 私の右のイヤリング。

 貴方が最後に触れてくれたそれを、この手紙と共に、貴方と最後に逢った森の湖へ沈めようと思います。

 

 これが運命というものの最後の贈り物であるなら、こんなに幸せなことはありません。

 

術後3日目 JCS、GCSによる意識状態に変化なし(?−300、3点)。対光反射、深部腱反射正常。Babinsky反射などの異常反射を認めず。栄養点滴を持続。人工呼吸器よりのウィーニングを開始。

 

………………

 

術後7日目 人工呼吸器より離脱。自発呼吸12回/分、深度やや浅、整。栄養点滴から3時間毎の静注に切り替える。栄養注射の間隔を徐々に延ばす予定。意識状態変化せず。

 

………………

 

 リュミエールがどれだけ、周到に用意を重ねていたか、日が経つにつれてはっきりする一方だった。

 事件が起こってからしばらくというもの、混乱と困惑の中でほとんどの守護聖は――ジュリアスでさえ――まともに執務を行えていなかった。それなのに仕事はいっこうに溜まらず、宇宙は隅々まで安定して正常に動いている。

 水の守護聖が、どうしてそこまでできたのかと思うほど先の決裁までもを可能な限り処理しており、かつ、それこそ全宇宙の膨大な数の、ほとんど全てと言えるほど多くの惑星に、他のサクリアの要求分をも考え合わせて計算されつくした量の水のサクリアを注いでいたためだった。

 リュミエールが執務室で仕事をしていた時間と、王立研究院で惑星に水のサクリアを送っていた時間とを照らし合わせると、あの日までの一週間、水の守護聖はほとんど寝ていなかった計算になる。

「みんなさ、おかしいって思ってたはずなのに」

 自嘲気味にオリヴィエが笑いながら言った。

「誰も、何にもしてやれなかったんだよね」

 

 水のサクリアの異変はもちろん直ちに、その持ち主に異変があったという事実を伴って守護聖全員に感知された。しかしわかるのはそれだけで、状況は混迷し錯綜し、結局クラヴィスを除く全員が医療部に集まったのは夜半も過ぎた頃だった。

 重い口のオリヴィエから、それでも、明確に。

 リュミエールが自殺を図ったこと。

 錯乱したオスカーが、薬剤によって強制的に眠らされ、別室にいること。

 そして意識は戻らず、油断は出来ないものの、とりあえずリュミエールが一命を取り留め、今のところ状態が安定していることなどが告げられた。

「オスカーがさ。なんか知ってる…みたいだけど。」

 オリヴィエの言葉はそれ以上、続かなかった。

「あー、ここ最近のリュミエールの様子がおかしいとは、……思ってたんですけどねぇ」

 言葉使いだけはいつもと変わらないルヴァの口調は、どこか抑揚を欠いていた。

 マルセルが小さな声で泣き出した。

 

 自分が医療部に残るからというオリヴィエに勧められて、とりあえずその晩は一旦各々の館に帰った。ゼフェルが残ると言ったのでオリヴィエは黙って彼の要求を受け入れた。ランディとマルセルがそれを聞いて自分たちも残ると言い出したが、オリヴィエはランディにマルセルを連れて帰るよう言っただけだった。

 まだ幼いマルセルに、ここの雰囲気は重過ぎる。

 

 翌日、クラヴィスも含めて再び医療部に集まった守護聖全員の場に、オスカーも姿を表した。

 あんな様子のリュミエールを見た後だったが、皆の前に出た時には、なんとか、平静を繕えた。

 そこで水の守護聖の執務室に残されていたというリュミエールの置き書きを渡された。

 読んでいくうちに、自分の手の震えが大きくなるのがわかった。

 

 オスカーはすべてを話した。何度もひどく興奮し錯乱して、そのたびに医療部のスタッフから精神安定剤を打たれた。

 何をどう話したかはっきりと覚えていない。片っ端からあらいざらいぶちまけた。

 もちろんあの日に投げ付けた最悪の言葉についても話した。言いながら、リュミエールが最後に言った「何も仰らないでください」という台詞が、このことを指していたのだと気づいた。

 泣き叫んだ。

 「リュミエール」「好きだから」「耐えられなかった」「俺のせいだ」……そんな言葉を何度も繰り返し言っていた気がする。

 

 誰も、何も、言わなかった。

 

 誰か、責めてくれればいいのに。

 誰か、俺の罪を罰してくれ。

 

 3日目になり集中治療室から解放され、7日目になり人工呼吸器を外されたリュミエールの、意識は戻らないままだった。