■ 贖罪(1)

 焦がれて焦がれて、焦がれ続けて、それでも永遠に手に入らない人。

 自らに禁じたから。

 一瞬でも気を抜いて、欲して、手を伸ばしたなら。

 背骨を折るほどに抱き締めて、自分の懐で燃え盛る恋情の炎を止め処もなくぶつけて、焼き尽くしてしまうから。

 それならば。

 この業火を自分だけの胸の中で溜め込んで、内側からの炎で燃やし尽くされて何もかもお終いになるのは、自分だけでいいと思った。

 

 だから。

 だから抑えきれずに自分の内から漏れ出すどうしようもない炎を、敵意に摺り変えた。

 摺り変えたのに。

 それなのに。

 

 この手紙が、貴方に渡ることはないと信じています。

 それが前提にあればこそ、私はこのようなことを書いていられるのですから。

 貴方は意味のないことだとお笑いになるでしょうか。

 意味がないわけではないのです。これは、私にどうしても必要な儀式のようなものなのです。

 こうやって、あなたにどうしても、どうしても伝えられなかった言葉を綴る事は。

 

 バン、と掌をテーブルに叩き付ける音が響いた。

「一体どこまでお優しい甘言を言いつづければ気が済むんだ!」

 自分達に向けられたわけでもないその怒声に、びくり、と年少組が身を竦める。俯き加減のマルセルのラベンダー色の瞳には、すでに涙が浮いていた。

 ゼフェルでさえ緊張の色を走らせて、巧みに視線を泳がせる。その合間に、ちらり、とオスカーの表情を盗み見た。

 炎の守護聖の瞳は触れれば焼け付きそうなほどに高温に張り詰めている。耐え切れず、再びゼフェルは明後日の方向を向いた。

「私が言いたいのは」

 その燃えるアイスブルーの瞳を真っ向から受け止めながら答えるのは、水の守護聖。

 その表情は、口調は、あくまでも凪いだ水面のように静かだ。

「この場合、何もかもあなたの言うように、厳しく強く…締め上げるような対応を取れば、事態はむしろ悪化するのではないですか、という私の見解です。ですがこれ以上論争を重ねても平行線でしょうから、裁量は――」

 そこで上座の光の守護聖を見る。

「ジュリアス様にお任せいたします」

 頻繁にこういう形で仲裁役に廻される形になる首座は、諦め気味の軽いため息をつき、

「では、この件に関しては検討の後、対応を連絡する。」

 そう言って、不毛な論争を締めくくった。

 その言葉に、向かい合って立っていた2人がゆっくりと着席する。

 それでもオスカーの、炎の奔流を思わせる視線は水の守護聖に向けられたまま、緩むことを知らない。

 ルヴァの狼狽だとか年少組の怯えだとか2人の上席の守護聖の諦めだとか、そんな雰囲気を周りから受けながら。

 オスカーは、夢の守護聖から向けられる哀れみの視線に気づいていた。

 

「オスカー、ちょっと」

 オリヴィエに引き止められてそのまま残った会議の間は、今はもう2人だけになっていた。

「……何の用だ」

 瞳の色そのままの、氷の低温の声がオスカーの極度な不機嫌を表現している。

 オリヴィエはその問にすぐには答えず、ただじっと先程からの哀れみを込めた目付きでオスカーを見ていた。

「気に入らんな、その表情。……何が言いたい?」

 一瞬、間を置いて、オリヴィエはため息をつき、綺麗にネイルアートを施した手で前髪をやや乱雑に掻き揚げた。

「アンタさー、……言っちゃったほうがいいんじゃないの?」

 オスカーの肩がぴくりと震えた。

 すっと細められた瞳が、いっそうの熱を孕んで揺らめく。

「……何をだ」

「その目で言ってること。」

「誰に」

「その目で言ってる相手に。」

「何のことか知らんな」

「オスカー」

 オリヴィエの言葉には、少しいらいらした響きが含まれている。

「自分で認めたくないんならアタシがはっきり言ったげる。アンタ、リュミちゃんのこと、お前が欲しいどうしようもなく欲しいってすっごい目で見てる。飢えて狂う間際の狼みたいな目して」

 ガラスの割れる甲高い音がオリヴィエの言葉を遮った。

 

「……それ以上、言うな………」

 押し殺した声。

 オスカーの右手、鞘に包まれたままの剣の先端は、窓ガラスを突き抜けた向こうにあった。

 オリヴィエは軽く目を見開いて、しばらくの逡巡の後、慎重に言葉を紡ぎ始めた。

「……アンタの考えてることはさ、なんでそんなことしてるかって。だいたい、わかってたし。そのつもりなら見守ってようって、そう思ってたんだよアタシだって。」

 オスカーはゆっくりと、自身が作った窓の穴から剣を引き戻した。

 そんな様子を見ながら、オリヴィエは静かに言葉を続けた。

「でもさ。最近のアンタ、まともじゃない。ましてやそれが世間には怒りとかそんなものとしてしか見えてないんだから。…その点アンタの望みどおりなんだろうけど、でもそれにしても度が外れすぎてるよ。お子様達がかわいそうだし、…それに」

 続けようとした言葉を飲み込む。

 オスカーは唇の端を歪めて笑った。

「何だ?そこまで言いたい放題言って、いまさら躊躇うこともないだろう?」

 夢の守護聖は、その言葉に小さな吐息を一つついて、少し考え込むようにしてから、言葉を続けた。

「そのアンタの異常な怒気を真っ正面から全部ぶつけられてるのはリュミちゃんなのよ?」

「恨めばいいさ。俺を」

 そう言い放ってオスカーはオリヴィエに背を向け、扉の方へと近づいていった。

「そんなことのできる子じゃないって知ってるくせに。」

 オスカーが扉の前で立ち止まる。足元を見るように俯いた。

「狂った男の狂った感情に焼き尽くされるよりはマシだろうよ」

 そう言って、炎の守護聖は扉を押し、出てゆく。

「忠告はしたからね」

 夢の守護聖の言葉を背に受けながら。

 

 

 そんなことはわかっている。

 水の守護聖と向かい合うとき、自分の目がどんな目をしているか。

 年少組だったら確実に泣き出しそうな程に、剣呑な光を湛えて、有りっ丈の力を込めて水の守護聖を睨みつけている。

 ぎりぎりと音がしそうなほどに。瞳から熱が暴発しそうなほどに。

 目の前の麗しきかの人は、そんな自分を時には対立で、時には困惑で、諦めで、静かな怒りで見るけれど。

 ああ、それでも綺麗だ。そんな時でも、どうしようもなく綺麗で、神聖で、絶対に壊したくないから絶対に触れられない人。

 お前が欲しい。欲しい。

 その唇を奪って、白い肌に口付けて、壊れるほどに身も心も何もかも奪って、声も瞳も、全部俺だけのものにしてやりたい。

 抑えることのできないそんな恋情に、怒気の殻を被せてその場その場を凌ぐ。

 ……オスカーと気があって付き合いの長い、海千山千の夢の守護聖だけは、それに騙されてくれなかったが。

 

 ああ、私がこの手紙を書き終えた後には、きっと貴方に大変なご迷惑をお掛けするのでしょうね。

 私の限界で出来る限りの準備はいたしましたが、それでも不備は免れ得ないでしょうし。

 そして、何より。

 たとえ私にとっての真実がどうであれ、貴方はこうなったことの原因が、あの事にあるとお考えになるかもしれませんから。

 

 宮殿の廊下で、ふと視界の端に入る水色のローブ。

 再びオスカーの目が熱を帯びる。

 そんなオスカーの視線を背に受けて、その人は振り返った。

 

「オスカー」

 

 ああ。

 あんな言い争いの後でも、お前はなんて静かで、……なんて綺麗なんだ。

 

 欲しい。でも手を伸ばしてはいけない。

 お前が手に入らないのなら、せめてお前を俺への怒りで満たしてやりたい。

 俺のことだけしか考えられないように。

 

 剣呑な光を湛えたオスカーの目に、リュミエールは目を伏せ、俯いた。

「オスカー……今度、私の館でご一緒に食事でもしませんか」

 意外な発言にオスカーは少し目を見開いた。リュミエールが言葉を続ける。

「会議のたびにあのような論争になっては、他の守護聖の方々にもご迷惑ですし、それ以外の庶務も滞ってしまいます。今日の会議でも結局扱えなかった議題が幾つかありましたし、……でも。私は」

 リュミエールは少し間を置いてから言った。

「私はたしかに、考え方も性格も、貴方と正反対の人間ですが、何かきっかけがあれば貴方と親しくなれそうな…そんな気がするのです。」

 弾かれたようにオスカーは冷笑い出した。

 正反対。確かにな。とんでもなく綺麗で、……純真なお前に比べて、俺の思考はなんて穢れてるんだか。

 そんなお前を抱きたい、だなんて。

 オスカーはそう思いながら、冷笑を受けて、下を向いたまま身を強張らせたリュミエールを見た。

「無理……ですか」

「無理だ」

 もう、やめてくれ。

 これ以上何か言われれば、お前を抱き締めて壊してしまいそうだ。

 それでもリュミエールの唇は言葉を紡ぐ。

「私の何が、……貴方のお気に召さないのでしょうか。」

 オスカーは一瞬、言葉を閉ざした。

 それから、酷く残酷な目をして、鼻で嘲笑った。

「お前の存在丸ごとだ」

 びくり、とリュミエールは身を震わせて、驚いたように顔を上げた。

 オスカーの方へ向けられた視線は、そこまで言われると予想してなかったことをありありと物語っていた。

 オスカーはそんなリュミエールに背を向けて、再び歩き出した。

「……オスカー」

 背後から、リュミエールの張り詰めた声が再び聞こえる。

「それほどまでに、……私のことが憎いですか」

 オスカーの歩みが止まった。

 振り返る。

 その目に、激情があらん限りの力で込められた。

 愛しているよ。愛している。だから

「この世から消えてしまえと思うくらい憎い」

 一瞬、リュミエールは震えて。

 すっ、と、その目から感情が消え去った。

 

 オスカーは背を向けて、再び歩き出した。

 罪の証である、胸の痛みと重さを抱えて。

 

 そうではない、ということを…貴方がこの件に関して何も後ろ暗く思うことはないのだということをどうしてもお伝えしたい。

 貴方がこれからも、貴方自身のサクリアのように強く明るい人生を送れるよう。

 けれど私には、もう何かをあなたに伝える手段が何一つ残されていないようなのです。

 それもすべて、私の罪。