■ 贖罪(4)

「ああ……呼吸器外れたんだ、良かった。綺麗なリュミちゃんにあんな無粋な機械がいつまでもついてるのは嫌だものね」

 花を抱えて病室にやってきたオリヴィエのその言葉にも、オスカーはすこしも反応する様子はなかった。

 腕から伸びた幾つかの点滴の管以外にはただ眠っているだけのような、そんなリュミエールのベッドの脇、定位置と化したその椅子に座ったまま、リュミエールの顔をただじっと見つめつづけている。

 毎日そうやったまま、何時間も、何時間でも。

 リュミエールが倒れてからオスカーはずっとこの調子だった。そしてこの病室に運び込まれるようになった炎の守護聖宛ての書類を、時折、気まぐれのように決裁する。そうして夜がくれば、そのままベッドにうつ伏せてリュミエールの脇で眠るか、あるいは病室に備え付けられたソファで毛布に包まって眠る。

 それで毎日が過ぎ、それで世界は回っていた。

「……なに、考えてんの?」

 軽い調子でオリヴィエはオスカーに聞いてみた。この男は、こうやってリュミエールの顔をいつまでも見続けながら、何を考えてるのだろうかと。

 オスカーからの返事は、ない。

 オリヴィエはしばらくその場で佇むと、部屋の脇にあるテーブルに花束を置き、椅子をベッドサイドに引き寄せてオスカーの隣に座った。そしてベッドに眠るリュミエールの顔を覗きこむ。

 リュミエールの顔色はもうあの日までの普段通りの、病的でない綺麗な白さに戻っていた。

 水のサクリアは――リュミエールが自ら手放そうとしたそれは、ここ数日でしっかりとした流れを持ってリュミエールの内に蘇っている。

 それでも、リュミエールの雰囲気はどこか生気を感じさせない。

 やっぱり、あの微笑が―――誰もがつられて微笑んでしまうような、喩えようもなく優しい微笑が無いせいかしらね、とオリヴィエは軽くため息をつきながら思った。

「…………こいつが、何を考えてたのかと」

 何の前触れもなく切り出されたオスカーの言葉が、さっきのオリヴィエの問いに対する返事だと気づくまで、一瞬の間を要した。

 オリヴィエはリュミエールの方へ傾いだ体勢のまま、顔だけをオスカーの方へ見上げるように傾ける。

 ここ何日かの間に、男らしい端正な顔に張り付いたまま固まってしまった無表情が、オリヴィエの視線の先にあった。

「………俺の見ていないところで、俺の知らない何を考えていたのだろうかと…………」

「―――――」

 しばらく、お互いに無言の時間が続いた。

 

「―――ジュリアスがさ」

 先に口を開いたのはオリヴィエだった。

 ここに来た目的を伝えなければならない。気は重いが。

「そろそろ、惑星にサクリアを送んなきゃなんないだろうって。……アンタのも、水の――サクリアも」

「………」

 オスカーは無言のまま、その言葉を受けた。

 リュミエールの見立ては実に正確だった。水の守護聖の執務室にまとめられた書類、その上のほうにあった惑星からの水のサクリアの要求がだんだんと強くなっている。

 全てリュミエールの考えた通りになっていたのかもしれない。

 水の守護聖の命の灯が消え、水のサクリアは新たな器を選び、新たな水の守護聖が聖地に招聘され、リュミエールから残された的確な指示通りに惑星に水のサクリアを送る―――。

 リュミエールのただひとつの手違いは、あの場にオスカーが来た事だった。

 リュミエールの命は消えず、水のサクリアはリュミエールに留まった。そうなってしまった以上、水のサクリアを送れるのはリュミエールしかいない。

 いまだ、意識の戻らない―――。

 水のサクリアをその身に持つ者としての、水の守護聖としての、宇宙を保つための絶対的な義務。それが出来なければ―――

「……ジュリアス様であろうが、女王陛下であろうが」

 陰を含んだオスカーの声は、オリヴィエに悪寒を覚えさせるに十分だった。

「こいつに手出しするなら、俺が殺す」

 無表情のまま淡々と口にする。

 オリヴィエは眩暈を覚えた。目の前の景色が歪んだ気がした。

「こいつがいなくなるくらいなら、宇宙など―――滅んでしまえばいい」

 

 

 夢を見る。

 あの日最後、あの森の湖で会った、あのお前の微笑。どうしようもないくらい綺麗で、穏やかで。

 それから鮮血。白い首筋に突き刺さる刃。ぱっくりと開いた傷口。優しい顔も青銀の髪も何もかも何もかも赤い血で染まる。

 白くて細い指が短剣を引き抜く。噴き出す血にまみれながらくずおれる細い身体。

 何度でも何度でも何度でも何度でも、眠るたび眠るたびに再生される夢。

 そうして目を覚ます。

 

 

 月明かりが病室を青く照らしていた。

 冷汗にまみれた自分も、リュミエールの眠るベッドも。

 オスカーはソファから起き上がって、ベッドの方へ近づいた。

 明けない闇に閉ざされたままの水の麗人が眠りつづける。

 

 何度目が覚めてもそこに在るのは、悪夢と何ら変わりのない現実。

 

「リュミエール……」

 呼びかける。

「目を、開けてくれ……」

 こうやって、何度、願ったことだろう。

 お前が目を覚ましてくれたら、今度はもう二度と間違えないからと。

 何度贖罪の言葉を呟いても、胸が引き裂かれそうなほど狂おしく愛しい深海色の瞳は見えない。

 

 さっきは新しい夢を見た。

 自分の腕の中から、愛しい人が奪い去られていく夢。

 宇宙の存続のためと、目の前で、でもどれだけ泣き叫んでも、どれだけ手を伸ばしても届かない所で、再び死に晒される姿。

 

 どうということはない。

 毎日見る悪夢の、バリエーションがひとつ増えただけ。

 

「明日、一緒に星の間へ行こう」

 自分でも何を考えているか良くわからず、ただ思うままのことをリュミエールの耳元で告げた。

「おやすみ」

 そう言ってしまうと、何となく安心できた自分がいることに気がついた。

 

 

術後8日目 付き添いより外出要請あり、3時間以内の外出を許可。約2時間弱にて帰院、バイタルサインに大きな変化は見られず。

 

………………

 

術後14日目 意識レベルJCS?−300、GCS3点で回復しないものの、自発呼吸、8時間ごとの栄養静注にて状態安定。ワークグループにて検討の結果、在宅治療が可能と判断。16日目に退院を予定。

 

………………

 

術後16日目 診察にて意識レベル変わらず。退院、在宅訪問治療に切り替える。

 

………………

 

 恒例の風景になってきた。

 水の守護聖をいとおしげに両手に抱え、宮殿を歩く炎の守護聖の姿は。

 オスカーの腕の中で、安らかに眠っているかのようなリュミエール。

 宮殿で働く文官も武官も女官も、誰もが黙って、その様子を控えめに見守る。

 

 今日は守護聖たちの定例会議の日だ。

 リュミエールを抱えて、会議の間の扉の前までやってきたオスカーに、文官が一礼してドアを開けた。

 クラヴィスとジュリアスがまだ来てないだけで、その他の顔ぶれは揃っているようだった。

 ルヴァ、それからオリヴィエと朝の挨拶を交わす。

 リュミエールを自分の向かいの椅子に座らせていると、マルセルとランディが駆け寄ってきた。

「おはようございます、オスカー様、リュミエール様」

 ランディは未だに意識の戻らないリュミエールにも律儀に挨拶をした。

「オスカー様、ぼくの庭のコスモスが咲いたんです、リュミエール様に差し上げようと思って」

 嬉しそうにそう言ったマルセルが、リュミエールの膝の上に黄色と白と桃色の花束をそっと置いた。

 リュミエールの意識が閉ざされたままで、生きているだけ、とも言えるような状況の中、いち早く明るさを取り戻したのは彼ら年少組だった。

 何かと暗くなりがちな大人達と違って、あれこれと、押し付けがましくなく楽しい気使いをくれる。

 ずいぶん救われたと、オスカーもそう思う。

 ジュリアスが入室してきた。その後ろには闇の守護聖もいる。仕事嫌いな彼を光の守護聖が引っ張ってきたのだろうか。

 リュミエールが闇の守護聖の傍からいなくなり、腰の重いクラヴィスに仕事をさせようとする者は誰もいなくなったはずだが、クラヴィスも状況をわきまえるのか、以前ほど怠慢でも人の忠告に無頓着でもないらしい。たいした進歩だ。

 会議が、始まった。

 

「アタシんところでお茶でもしない?」

 会議が終わり、執務室に戻って、昼が過ぎ仕事がひと段落した頃、執務室に来たオリヴィエからそう声がかかった。

「リュミエールが一緒でもいいならな」

 傍らのソファに横たえていたリュミエールの髪を撫でながら、オスカーは答えた。

「バカ、当たり前じゃない。なんならリュミちゃんだけでもいいのよアタシは」

「それは俺が却下だ」

 そう言ってオスカーは笑い、リュミエールを両腕に抱えて立ち上がった。

 たわいのない話をしながらオリヴィエの執務室まで歩いた。部屋に入って2人がけのソファの片方にリュミエールを下ろし、もう片方にオスカー自身が座ってから、自分の膝にもたれかからせるようにリュミエールをそっと横たえる。出された紅茶に、ブランデーを落とすくらいの気遣いはないのか、馬鹿アンタのは気遣いじゃなくてただの我侭でしょ、と軽口を交わす。

「惑星の育成はしなくていいの?」

「ああ、昨日また行ってきた。しばらくは炎のサクリアも水のサクリアも要らない。」

 オリヴィエの問いにそう答える。夢の守護聖は黙って微笑み、自分の紅茶に口をつけた。

 オスカーはリュミエールと一緒に初めて星の間に向かったときのことを思い出す。

 

 あの日、オリヴィエの見舞いを受けた翌日、リュミエールを抱えて星の間に向かった。

 とりあえず自分のサクリアを調節することで星の育成がなんとかなれば。それと、外の空気に触れることで、リュミエールに何か変化が見られれば。そう思っただけだった。

 リュミエールを抱えていることに違和感はない。どうせ何度も錯乱して大騒ぎした事は聖地中に知れ渡っているのだ。

 リュミエールがいないという事実を前にすれば、細かいことなどはどうでも良かった。

 擦れ違う人々も、影から見送る人々も、誰も、何も言わなかった。

 

 星の間へ、2人だけで入った。とりあえず部屋の中央で腰をおろし、リュミエールを両腕に抱き込むようにして、部屋全体に映し出される全宇宙の惑星を眺める。

 星々の水のサクリアに対する要求は、控えめながら確実だった。こんな時にでもか、と思わず舌打ちしそうになる。

 その時だった。腕の中のリュミエールの身体から、青い光の水のサクリアが迸ったのは。

 オスカーは驚いて目を見開き、リュミエールを凝視した。

 リュミエールの様子に変化はない。

 ただただ、水のサクリアを放出し続ける。サクリアは幾筋もの青い流れとなって、水の力を求める惑星へ次から次へと注がれていった。

「ああ………」

 しばらく呆然としてその様子を眺めていたオスカーは、唐突に思い当たった。

 求めるものに、無償のその優しさを与え続けること。

 それが何よりも、リュミエールの本質なのだと。

 与えるためなら自らの犠牲など一切省みず。何もかもを捧げて。自分の、命さえ――――

「―――――っ……」

 行き当たった自分の考えに唇を噛む。

 水のサクリアが一通りの惑星に行き渡っても、リュミエールの水のサクリアは収まろうとしなかった。どんな些細な水の力の要求にも反応してサクリアを注ぎ続けようとする。

「もういい、リュミエール」

 青い光は尽きるところを知らない。

「もういい止めろ」

 オスカーは堪らず、リュミエールを強く抱きしめた。

 結局、オスカーが炎のサクリアと自分の体でリュミエールの身体とサクリアを覆い、星の間を出て星々からリュミエールを引き離すしかなかった。

 外に出て、リュミエールを再び両腕に抱え、医療部への道を帰りながら思った。

 優しさを与え続けるのがリュミエールの本質ならば。

 それを抑え、諌める強さがオスカーの本質であるはずなのに。

 そうであるべきだったのに。

 自分はリュミエールの優しさに甘え続け、何をし続けてきたか――――

 オスカーの足が、止まった。

「……………てくれ………」

 幾度目になるかわからない謝罪の言葉を、リュミエールにだけ聞こえる声で呟き、青銀色の髪と白い首筋に顔を埋めた。

 

 リュミエールから全ての点滴が外れても、深海色の目は開かなかった。

 オスカーはリュミエールを両腕に抱えて、宮殿に、自分の執務室に日参するようになった。

 そして自分の執務の間、リュミエールを脇に置いたソファに横たえておいたり、自分の膝にもたれかからせたり、自分の胸の中で抱きかかえたりしている。

 昼休みともなれば、リュミエールを抱き上げて庭園を歩いたりした。

 

 リュミエールが水のサクリアを送れる以上、問題となるようなことは今のところ何もなかった。

 今回の事件に対する処分なども、とりあえず話題に上らない。

 オスカーは自分の館にリュミエールを引き取ることを申し出た。検討会の後、要求は承諾された。

 今では夜、オスカーは自分のベッドでリュミエールを抱きかかえて眠る。

 オスカーはひと時たりと、リュミエールから離れようとしなかった。

 

「今の生活にもだいぶん慣れたみたいね」

 オリヴィエはオスカーの方を見遣った。

「ああ、そうだな」

 傾きかけた日に照らされながら、オスカーは軽く笑ってそう答えた。片手で膝の上のリュミエールの髪を梳く。