■ 輪(リング)(3)

 言葉にして言われはしなくとも、愛されている、と、思う。

「オスカー」

 そうでなければ、こんな綺麗な優しい……心から嬉しそうな表情で出迎えられる事はないはずだ。

 聖地に来る前には軍人としての訓練を受けていたオスカーである。他人の表情が真実のものかそうでないかくらいは見分けられると思っている。

「待たせたな」

 そう言うと、返事するひまも与えず抱き寄せて口付けた。触れ合う柔らかい唇の感触が心地よい。

 唇を塞がれながらリュミエールの手が背に回されて、オスカーの身体のラインをなぞった後、不意に強く服を掴んだ。

 リュミエールの中から自然に湧き出る強い愛情の証だ、と思う。

 長くて穏やかな口付けを終えると、リュミエールは自分の見せた激情を恥じるように、その顔に薄く血色を昇らせてオスカーから目を逸らした。

 何度逢っても、可愛くて、素敵で、綺麗だ。

 身体も、心も。

 抱きあったままそう考えていたら、唐突に、するり、と腕の中からリュミエールが身を翻してすり抜けていった。

 

 瞬間、真っ黒い閃光のような悪寒がオスカーを襲った。

 

 イカナイデ

 

 手を伸ばして、リュミエールの手首を思いきり掴んだ。

 驚いたようにリュミエールが振り返る。肩から流れる薄いショールが風になびいた。

「オスカー?」

 問い掛けるリュミエールの表情はいつもと同じ暖かさだ。

 オスカーを襲った暗雲が一瞬のうちに気配すらも残さず消え去る。

「あ…………いや」

 今のは………何だったのか。

 手首を掴んだ腕の力が抜ける。ふわり、と重さを感じさせない動きでリュミエールの手が離れていった。

 リュミエールを見つめたまま動かないオスカーに、リュミエールが柔らかく微笑みかけた。

「何かお飲みになるかと思いまして………いつものものでよいでしょうか?」

「え?………ああ、そうだな…………いや」

 肯定の返事を聞いて再び歩きかけていたリュミエールが振り返る。

「お前の淹れた茶が飲みたい」

 リュミエールは最初に目を見開いて、それから嬉しそうに微笑んだ。

「珍しいですね、あなたからお茶を飲むなんて」

「悪いか」

「いえ、嬉しいです」

 オスカー以外の人間には見せない、素直な想いを包み隠さない子供のような微笑。

 先ほどの暗雲が全くの杞憂だったと思えるような。

「今日、ルヴァ様のところで桂花茶を頂いたのですよ」

「ああ、オリヴィエから聞いた」

「あなたにも飲んでほしかったのですけど、茶葉が僅かしかないもので………それにあなたはあまりお茶を好まないかと思いましたから…………でも」

「でも?」

 リュミエールはその言葉に、ふと、茶の準備をする手を止め、オスカーのほうへ振り返った。

 我に返ったような表情で。

「…………いえ」

 ゆっくりと、ポットの方へ向き直る。

 先ほど消えたばかりの暗雲が再び沸き起こる、嫌な感触をオスカーは感じた。

「来年は一緒に飲みたいな」

 不安を消すようにオスカーは言葉を綴った。

 少し、間があって。

「そうですね」

 振り返らずに、いつもと同じ暖かい声で答えるリュミエールの、表情はオスカーの位置から見えなかった。

 

 

…………貴方は

いままで、何人のひとに、そう言ってきたのでしょうか………

 

…………いえ

貴方の事を、貴方の想いを信じなければ

………信じたい…………………

 

………………いいえ

来年も、どんなに時が巡っても

きっとあの桂花茶を一緒に飲む事はないのでしょう…………

………今、この時の、同じ時の、永遠の繰り返し…………

 

 

………ああ、まただ。

私の思考は、いつも輪を描く……………

 

 

 色恋沙汰に関する知識も経験も皆無だったリュミエールに、オスカーはその1つ1つを自分の手と身体で教え込んできた。

 手段を知った愛情は、身体を交わす相手にその想いを強く伝えてくる。

 愛されている、と、思う。

 今まで数え切れないほど付き合ってきた女性たちがいつも快楽の嬌声を上げていた、オスカーの技巧を凝らした愛撫をリュミエールに与えると、却ってリュミエールの身体が冷たくなっていく事を夜の時間の中で知った。

「貴方を置き去りにする快楽なんか要らない」

 かつて疑問に感じたオスカーがリュミエールに尋ねた時の、返事がそれであった。

 オスカーがリュミエールへの愛情に我を忘れるほどのめり込めばのめり込むほど、リュミエールもそれに答えるように、オスカーへ、体で、声でその激情を示してくれる。

 今日もそのままに、リュミエールの望むままに強く愛した。

 そしてそれに応えるように、オスカーに劣らぬ情熱を返してくれたリュミエール。

 愛されている、と、何よりも実感する瞬間だ。

 愛されているはず。

 しなる躯。熱い囁き。強く力の込められた指先。

 この反応に、愛が無い訳がない。

 オスカーの強引な行動、無理矢理な愛情から始まった事とはいえ、嫌われてはいないはず。

 そのはずなのに。

 

 ぽたり、と、シーツが音を立てた。

 

 …………お前は、それほどまでに………何に蝕まれているのか?

 躯を交し合って共に眠りに落ちた後、その深夜。

 気配に意識が覚醒しても眠った振りを続ける俺の横で、俺のほうを覗き込んで。

 ………声も立てずに涙を流し続けるほど。

 

 恐い。

 リュミエールへ目を向けることもできない。

 起きてしまえば、それをリュミエールに知られてしまえば、この日常が壊れてしまいそうで。

 

 夢現にまどろんでいるような振りをして手を伸ばし、冷えた躯を引き寄せて、腕の中へ強く抱き込む。

 目を開けられないままに。

 

 

 腕の中の存在が、じわじわと消えていく感触。

 

 

 恐れている。

 焦がれ続けてようやく手に入った愛しい人が、腕の中から消えてしまうのを、オスカーは確かに恐れていた。

 2度の涙の訳を問い質す事ができなかったのもそのせいだった。

 

 ………だが、さすがに。

 オスカーも、3度目には見過ごすことができなくなっていた。

 

 逢瀬に水の館を訪れた夜、同じように真夜中、目を覚ますと、愛しい存在はベッドの中から消えていた。

 足音を立てないよう、館中を歩いて探し回ったら、リュミエールの姿は静寂に冷え切った窓辺に佇んでいて。

 やはり、泣いていた。

 

 少しずつ、少しずつ遠くで泣くようになっていく人。

 

「…………リュミエール」

 驚かせないように、小さな小さな声で呼びかけた。

 強さを司る炎の守護聖の口から発したものとはとても思えないような。

 いや。

 少しでも、この緊張感を揺さぶれば、音を立てて崩れていきそうな気がして………

 リュミエールはその小さな声にも驚いて、オスカーのほうへ振り返った。

 頬に光る筋。

 だが、その視線はすぐにオスカーから逸らされた。

「リュミエール」

 近づいて、そっと肩に手を置いた。

 普段の凛然とした姿からは考えられないほど小さく見える肩が、跳ねて、震えた。

 

 怯えている。

 

 痛い。

 オスカーの身体が胸が心が、痛みに悲鳴をあげる。

 

「リュミエール」

 よく見たかった愛しい人の表情は、白い手の中に埋められた。

 オスカーに見られないよう。

 オスカーの眉根が、哀しみの形に歪んだ。

 背後からリュミエールを包むように、そっと抱きしめた。

「…………何故、泣く」

 独り言のように、ぽつりと呟く。

 聞かずにはいられなかった。

「………………ごめんなさい」

 いつもオスカーを安心させる声が、今は涙混じりになって、オスカーの痛みを大きくすることにしかならない。

「謝るな」

「………………ごめんなさい」

 優しい顔は、白い手に覆われてオスカーから見えないまま。

 

 腕の中の存在が、じわじわと遠のいていく感触。

 肌が総毛立つ。

 

 

 突然の破滅カタストロフより、ゆっくりと壊れていく日常のほうが遥かに恐怖感を煽られる事を、オスカーはこれほど強く思い知らされた事はなかった。

 

 

 行かないでくれ。

 離れないでくれ。

 

 何よりも大切な人を、繋ぎ止めるための方法。

 どうすればいい?

 

 オスカーはいつしか、そんなことを常に考え続けるようになっていた。

 

 

 

 水の中にたゆたうリング。

 ―――あ、あの夢だ、とオリヴィエは思った。

 そのリングが、目の前で、唐突に、弾けるように粉々に砕け散った。

 水の中で水飛沫を作り、水を泡立てる。

 

「――――――――――――ああ」

 気がついたら、清清しい朝の光の差し込むベッドの上に起き上がっていた。

 

 身体が、軽い。

 正確には、身体が軽いと心が感じていた。

 

 そういうことか。

 

 

【オリヴィエより通達】

(対象:夢の守護聖の館の使用人)

 全宇宙より布地集められたし。

 条件は以下の通り。

 …………………………

 

 

 

 急に明日、視察に出る事になった。

 だから、知らせに行こうと思ったのだ。水色の愛しい人に。

 視察といっても主星の王立研究院に行って少し調査をするだけのもので、聖地時間では1日にもならない仕事だった。

 それでも、異なる時間の流れを過ごすその間の時間を、あのひとを自分の手に繋ぎとめておきたかった。

 理由もわからずどんどん細くなっていくような感触の、あの人との絆を少しでも強くしておきたくて。

 だから探しに行ったのだ。あのひとを。

 

「リュミちゃん、あなた、ホントの気持ちをオスカーに言ったことあるの?」

 

 唐突にそんな台詞が聞こえた。

 

 その方向から聞こえた声の主の姿は見えず、植え込みの陰から遠目に透き見ることができたのは、胸が締め付けられそうなほどに愛しい人の姿で。

 

 その人が、オリヴィエの言葉に、笑った。

 血の滲むような微笑で。

 

「貴方には、何も隠し事ができないのですね…………オリヴィエ」

 

 

 オスカーの背筋が、氷水を浴びせられたように凍えた。

 

 

 

 

 本当の気持ちって、何……………

 隠し事って、何…………

 

 

 

「オスカーにさ……言ってごらんよ。」

 水の守護聖は目を伏せてしばらく逡巡すると、ゆっくりと頭を振った。

「…………できません」

「リュミちゃん…………お願いだからさ……アンタが言ってくれたら、私は」

「オリヴィエ」

 言下に、オリヴィエの言葉を遮る。

「あの人に……惹かれていました。でもあの人が私を好ましく思っているとは、とうてい思えなくて。だから私が求められていると知った時は、ひどく混乱しましたけど、……あの人を好きになれると思ったんです。」

 俯いたまま、一言一言を奇妙なほどにはっきりと話す。

「ずっと変わらず、穏やかな気持ちのまま、好きでいられると……思ってたんです。」

 水の守護聖は、顔を上げて……もう一度微笑った。

 痛々しいほど凛然とした姿で。

「今は、甘かったと、思っています………」

 

 

 オスカーの心が、悲鳴を上げて、血を流した。

 

 

「……だったら、なんでオスカーに言わないの。なんでアタシにも言ってくれないの」

「オリヴィエ」

 リュミエールの微笑は、一層深くなった。まるで滲んだ血が広がるように。

「それでも私は、あの人との穏やかな今を、……今を巡る時の輪を、私自身の手で壊したくはないんです。……わかって下さい」

 

 リュミエールがオリヴィエに一礼して、きびすを返し、凛然と美しく伸びた後姿を見せてその場を去っても。

 大きな溜息をついて、オスカーともリュミエールとも違う方向へ立ち去る瞬間、植え込みの間から垣間見えた、大きな荷物を下げたオリヴィエがその場を去っても。

 

 

 オスカーは、その場に立ち竦んだまま、一歩も動けなかった。

 

 

 

 追いかけなければ――――――

 追いつかなければ――――――

 

 最初に思いついたのは、ただ、それだけだった。

 

 追いかけなければ――――――

 あの人が、自分の手から去ってしまう――――――――

 

 見つけた後、何を言えばいいかもわからないまま、オスカーはただ、リュミエールを探した。

 

 

 リュミエールは。

 さっきの所から、さほど離れてはいない場所にいた。

 大きな金木犀の木の下。

 

 金木犀の花は、その黄金色の花を咲かせる数日の間、一面に広がるその匂いで世界中を支配した後、涙のように花を散らせて降り頻る。

 大きな木であれば尚更。

 

 青銀色の髪に、水色の肩に、木を見上げる白い顔に、細かい音を立てて落ちる黄金の花粒。

 彼の人の周りに、橙色の花絨毯が輪を描く。

 

 その表情は、一片の曇りもない幸せに彩られていて。

 

「……ュミエール」

 声が、掠れた。

「オスカー」

 彼の人は、一瞬、驚いた顔を見せて、振り返った。

 髪に肩に降り積もっていた花粒が滑り落ちて。

 深海色の瞳を自分に向けた、あの人は―――――――

 

 笑ったのだ。本当に、嬉しそうに。心から。

 

 

 大声で叫びたかった。

 お前はいったい何を考えているのかと。

 何を想っているのかと。

 

 

「オスカー?」

 花絨毯の輪から抜けて、立ち竦むオスカーの方へリュミエールが歩み寄ってきた。

 手が届く範囲に入った瞬間、オスカーはリュミエールを思い切り引き寄せて抱き締めた。

「オスカッ……!」

 痛みにか、驚きにか、リュミエールが声を上げる。

 細い肩を抱き締める自分の腕が、滑稽なほどにぶるぶる震えていた。

 

 自分がどんなにこの人を求めているか、痛いほど思い知らされる。

 

 震えの収まらない手を、どうにか緩めて躯を離した。リュミエールと視線を合わせる。

 硬い表情のオスカーを不思議そうに見上げてくる瞳には、先ほどの血の滲みなどは欠片も残っていなくて。

 何かを言おうとして開いたオスカーの唇は、乾いて震えるだけだった。

「オスカー?」

 目の前の美しい人が小首を傾げた。さらりと長い青銀色の髪が揺れて、白い首筋が顕わになった。

「あ、ああ……明日、視察に出ることになったから」

 大した用事じゃない、1日で帰る、と急いで付け加えた。長い期間、離れるかと思われると、何がどうなるか、何もわからないだけに一層空恐ろしかった。

「そうですか……お気をつけて」

 リュミエールが微笑んだ。多忙な炎の守護聖を心から労わる微笑だった。

 オスカーの眉根が、痛々しげに強く歪んだ。

 怒鳴りたかった。

 お前はいったい何を考えているのかと。

 何かを言おうとして、しかし言えないままのオスカーより先に、リュミエールが口を開いた。

「あの……オスカー」

 そこまで言って、リュミエールはわずかに頬を染めて俯いた。

「……何だ」

 乾いた咽喉で、辛うじてそれだけを答える。

「……今夜は、私が……貴方の屋敷に伺っても……よいでしょうか」

 オスカーは目を見開いて水の守護聖を見た。白い頬に浮かんだ血色はより一層濃くなって、顔は完全に俯いてしまっていた。

 今まではその逆ばかりで、リュミエールがオスカーの私邸へ来たことは一度もなかったのだ。

 喜びや不安の綯い交ぜになった煮え滾る感情が、オスカーの中を駆け巡った。

 細い両肩に手を置いて、リュミエールの耳元で、囁く。

 弾かれたように顔を上げたリュミエールの顔が、耳まで真っ赤になって、水の守護聖は素早く身を翻して早足に歩み去っていってしまった。

 後姿を見送るオスカーの表情は、一瞬だけ笑みの形に緩んだが、すぐに厳しい形に引き締められた。

「……俺は、本気だからな………リュミエール」

 囁いた言葉を、口の中でもう一度繰り返す。

 ――――――今晩、俺のベッドの上で、お前の全てを、俺の前に曝け出してやるよ――――――

 

 

【オリヴィエより通達】

(対象:服飾店店長及び従業員)

 梱包品、貴店にて展示されたし。売却不可。

 

 

 ――――――――――――愛されているとしか、思えない。

 近頃には珍しく、リュミエールの体力も考えずに何度も抱いて、オスカーですら疲れ果てて眠りに落ちるほどに抱き合って。

 浅ましいほどに貪欲にリュミエールを求めて。体の中を、心の中を何度も探った。

「最近…………貴方の、様子が、………おかしかったから………………」

 吐息に混じらせて、桜色の唇が囁く。

「私で…………貴方の役に…………立てるのなら………」

 オスカーは、リュミエールの躯に溺れながら、そんな睦言を聞いた。

「…………ああ……………」

 オスカーを不安にさせるのがリュミエールなら、その不安を打ち消してくれるのもまた、リュミエールしか居なかった。

 強く抱き締めて、リュミエールのより深い所へ飲み込まれるように、共に沈んでいった。

 

 眠気なのか、快楽なのか、疲労なのか。

 それすらもわからないほどに意識を泥のように混濁させて、眠りとも気絶ともいえないものに共に堕ちようとしていたとき。

「……私の、涙の、せいですか……………?」

 ――――――――隣に居るはずの、かの人の声が、なんとなしにどこか遠くから聞こえたように思えた。

 ………俺の、不安。

「……………そう、だな………」

 ………お前の、涙。

 腕の中の肩が、揺れたような気がしたが。

 意識はそこで途切れた。

 

 

 愛されているとしか、思えないけれど。

 ――――――――結局、聞けなかった。

 何度も、何度も何度も聞こうとして、口を開いて――――――――――どうしても聞けなかった。

 「俺のことを愛してるか」――――――と。

 

 ――――――――――それを激しく後悔したのは、夜更け過ぎに目が覚めてからだった。

 

 自分のベッドで意識が目覚めた。

 ―――――――――今日は独りだった?

 ――――――いや、今日はあいつが…………珍しく自分の館に来ると言って。何度も。何度も抱いて、一緒に眠った―――――――そのはずで。

 

 冷えた隣の空間に目を開いた。

 

 見慣れた自分の館へ、ようやく今日迎え入れることが出来た愛しい人の姿を探し回った。

 全ての部屋の扉を開いて、庭まで出て探し回って。

 

 リュミエールが自分の館へ帰ったのだと、夜明けの光の中で理性が認めざるをえなくなったその瞬間

 

 突き上げるような衝動が、オスカーの中を駆け抜けて。

 オスカーの足元の、固い大地の感触が、ぐずぐずと音を立てて崩れ落ちていった。

 

 

 自分の館に帰ったリュミエールが独りで、いつものように泣いたであろうことは容易に想像がついた。

 

 

 少しずつ、少しずつ自分から遠くなっていく人。

 少しずつ、少しずつ遠くで泣くようになっていく人。

 

 

 

 ――――――主星に出向いて、淡々と仕事を続ける炎の守護聖は、随行した研究員が誰一人として近づけないくらいに恐ろしく無表情で。

 どうやら何か彼をひどく激怒させることが在ったらしい事だけは推察できた。

 自分の分担されたやるべき仕事を済ませると、守護聖とわからないような軽装に着替え、他の連中を置いて街へと出て行った。

 恐る恐る同行を申し出た随行員は、極低温のアイスブルーの閃きに一瞥されただけだった。

 

 ――――――――よくセーブできたと、自分でも思った。

 本当ならば、守護聖の―――――仕事など、直ぐにでも放棄して、リュミエールの所へ行って―――――――

 

 ――――――――もう、限界だ。

 

 何処とも考えず歩いていた裏路地の、看板を思い切り蹴り壊した。

 

 ―――――――――こんな、真綿で首を絞めるような、日常の、時の輪など、

「―――――――――壊してしまえ」

 歯軋りの鳴るような、炎の守護聖の決意の言葉を聞いた者はなかった。

 

 

 ――――――唐突に、開けた通りへ出た。

 いつの間にか街は夜を迎え、街灯の明かりにアンティークな作りの路地が照らし出されている。

 今いる場所が何処なのか、確かめようとして辺りを見回し―――――釘付けになった。

 その、ショーウィンドウに。

 

 ――――刹那。

 混濁した意識の視界が、霧から抜けたように一気に開けて。

 オリヴィエが行き当たった事実に、オスカーもようやく――――――気づいたのだ。

 

 純白。

 細い身体のラインを強調するように、余計なドレープは使われておらず、皺一つなく流れる線を描く。

 肩を大きく開いたデザインのそれに、一切の飾りはない。

 ただその長い裾にだけ、光沢のあるやはり純白の絹糸でびっしりと刺繍が施してある。

 普通、外に向けて、正面を向いて展示されるはずのそれが横を向いているのは、ショーウィンドウの左端から右端まで伸びてなお余り、途中で幾重にか折り重ねられている長い長い裾を強調するためだろう。

 紫を基調とした相手方の礼服も、並べて展示されてあった。

 

 本来、青い色が一部に混ぜられるはずのそれが、あくまでも純白で統一されているのは。

 あの人の青銀色の髪が、深海色の瞳が、その白を鮮やかに飾るためだとしか思えなかった。

 

「…………リュミエール。」