いつさよならが来ても、泣かないように
あなたから強さをもらって、私は強くなった
それはあなたを信じていないからじゃない
永遠を信じていないだけ
時の流れを信じているだけ
そして好きになったものを好きと言える
嫌いになったものは嫌いになったと言える
あなたの強さを信じているだけ
いつその時が来ても
何も悔いることはない
その時が来ることをいつも考えていても
何も恥じることはない
だって私はあなたを愛しているから
あなたから愛されるその瞬間
私も全力であなたを愛しているから
過去も未来もなくただこの時
精一杯あなたを愛しているから
だから どんな事も 恐くない
恐いのは
私がその強さを無くす その事だけ
今を永遠に巡る輪を 私自身が壊す その事だけ
何かの苦しみを押し隠しているような、何か重いものに圧し掛かられているような声で目が覚めた。
自分の声ではない。
お互いに疲れ果てて引き落とされるように眠りにつくまでの濃密な時間、自分の名を熱く囁いていた狂おしいほど愛おしい優しい声が、苦しみに上げる声にならない声で目が覚めた。
「リュミエール?」
氷青色の目を開き、肘を突いて上半身を起こし、傍らに眠る愛しい人を見る。閉じられたカーテンから漏れ入る青い月の光と、シーツの微かな衣擦れの音が部屋の中に響いた。
先ほどまでの時間、自分の愛撫に敏感に反応していた、しなやかな身体。ベッドの上に散らばる、豊かな青銀色の流れ。
しかしオスカーに追い落とされるように先に眠りについた時の、この上もなく暖かな幸せに彩られた微笑は消え、今は押し殺すような苦悩が汗とともにその白い顔に浮かんでいた。
綺麗だった。
綺麗なだけに、その表情が表す悲哀感はオスカーの胸を締め付けるようだった。
「リュミエール」
たまらずに先ほどより大きな声で名前を呼ぶ。リュミエールはそれでも目覚めず、苦しげな表情を見せながら、緩慢に身悶えた。
まるで首を絞められて、呼吸が出来ないかのように。
「リュミエール!」
オスカーははっきりと、目を覚まさせる意図で呼びかけた。両手で愛しい人の頬を包む。
苦痛にゆがめられていた表情が、ゆっくりと解かれていく。
同時に、眠りの海から浮かび上がってくる気配。桜色の唇が一つ深い息をついた。
深海色の目が開かれて、ぼんやりと焦点の鈍った視線がオスカーを彷徨う。
「………オスカー?」
優しい声が自分の名を紡いだ。それだけで、オスカーは愛しさに胸が締め付けられるような、眩暈のような感覚を覚える。
リュミエールが白い手をオスカーの腕に縋らせて身を起こそうとする。オスカーはそれを助けるように、肌触りのいいしなやかな身体を抱きかかえた。
「酷くうなされてたぞ……どうかしたのか?」
囁く自分の声は甘かった、ように感じた。
リュミエールはその言葉に目を上げた。オスカーと視線が合う。
だが、オスカーへ向けられたリュミエールの視線は、焦点を結ばずにあいまいにオスカーの顔を包んだ。
「……………オスカー?………」
自分が問い掛けられているのに、まるで逆にオスカーに問い掛けるかのような声が漂う。
白い手がゆっくりと上がって、オスカーの頬に添えられた。
まだ寝ぼけているのだろうか、とオスカーは思った。ぼんやりとした表情は曖昧で、そこから何かを読み取ることは出来ない。
頬に添えられた手に触れようと、オスカーが自分の手を持ち上げ、重ねようとした瞬間、急に重力に逆らう力を失ったように、する、とリュミエールの手が抜け落ちた。
シーツの上に落ちる、ぱさり、という軽い音がした。
まるでその動作に導かれるかのように、リュミエールの視線がゆっくりとオスカーの首の辺りへずれ落ちた。
髪より少し濃い色の睫が、月光を受けて弾き、光った、と思った。
いや、―――光ったのは――――
オスカーはびくりと身を震わせて、酷く動揺した。
リュミエールの両目から流れ落ちる、光の粒を目にしたから。
表情は全く変わらない。
まだ眠りの淵に漂うかのような、ぼんやりとした無表情。
何も感情を感じさせないその瞳から、止め処もなく涙の粒が生まれ、青い月光を吸っては白い頬を次から次へと転がり落ちてゆく。
瞬きもせずに。
見ているオスカーが呆然とするほど、美しく、哀しい光景だった。
「……リュミエール!?」
一瞬の茫洋の時間が過ぎ、慌ててリュミエールの肩に手を添えた。きめ細かな肌の温度は冷えている。
触れられた瞬間、ぴくり、とリュミエールの肩が跳ねた。
そのまま、……オスカーの手から染み込む暖かさを実感するかのように、リュミエールの身体が細かく震え始めた。
深海色の目を伏せ、閉じる。閉じられた目から止まることを知らないかのように涙が溢れつづける。
小刻みに肩を震わせながら、嗚咽を押し殺して忍び泣く。震える肩の波動が掌を通してオスカーに伝わる。
何時の間にかリュミエールの唇は強く噛み締められ、普段より濃い朱の色を立ち昇らせていた。
オスカーの胸が、締め付けられるように痛んだ。
自分の心の軋みに耐えかねるかのように、オスカーはリュミエールを強く掻き抱いた。
細い腰がしなる。青銀色の髪が乱れて跳ね、オスカーの腕の上に流れを描いた。
胸に涙の感触が触れる。
「……どうした」
耳元で囁いた自分の声は、まるで哀しみが移ったかのように少し震えていた。
応えは、ない。ただ自分の腕の中で、先ほどよりも強く震える細い身体の感触を感じるだけだった。
声を押し殺して泣く。
オスカーにはそれが辛かった。いっそ声を上げて泣いてくれた方がどんなにか楽だろう。
「何かあったのか?」
リュミエールはオスカーの腕に抱きすくめられたまま、震えながら、その言葉に緩慢にかぶりを振った。青銀の色の波が揺れて、月光の下に淡く光る。
では何故、とそれ以上問うことは出来なかった。あまりに張り詰めた空気がそれを許さなかった。
オスカーは震えの止まらないリュミエールの身体を強く抱きしめながら、零れつづけるリュミエールの涙を自分の唇で拭うことしか出来なかった。
今だけ
その次も、今だけ
その次も、今だけで
永遠に今の繰り返しであればよい
今を巡りつづける輪の中で 今がある限り
幸せでいるだけでよい
「……………………………………」
半透明の海の中にたゆたうような『それ』のイメージとともに、窓から差し込む光を迎え目覚めたオリヴィエは、朝一番限定の金一色の髪を掻き揚げ、これまた朝一番限定の素の顔に手を当て、ベッドの上に起き上がったままの態勢でしばし考え込んだ。
【オリヴィエより通達】
(対象:オスカー及びオリヴィエ自身)
『輪』に注意すべし。
水の守護聖の立ち姿は凛然と美しい。
白と水色のローブを纏う背筋はいつもしなやかに、そして威圧的でない程度に張っている。
自らの司る優しさを湛えながらも、その内に潜む芯を感じさせるきりりとした美貌は、聖地の誰もが見惚れずにはいられない。
地の守護聖の執務室に書類を届けにきた彼を、ルヴァがまじまじと見つめてしまうほどには。
「ルヴァ様?」
自分の方から離れない視線に、リュミエールが小首を傾げて尋ねる。
「あー、いえいえ……………最近ますます綺麗になりましたねぇ、と思ってたんですよー」
顔色も変えずにさらりとそう言ってのける地の守護聖も大した玉である。リュミエールは戸惑い、それからほんの微かにその顔に血色を浮かべた。
次の瞬間、ルヴァの後頭部に衝突する軽い拳の感触。
「なーに女の子口説くような台詞言ってんのよ☆」
扉の方からではなくテラスから進入したであろう無作法な人物は、相変わらずの派手な髪と衣装と宝石を身につけた夢の守護聖だった。
何するんですか〜、と地の守護聖のやや情けない声があがる。
聖地のお茶好き3人組がこうやって昼下がりにたまたま揃うと、基本的にそのまま茶会への運びとなる。この日も例外に漏れることはなかった。
「あー、ちょうど良かったですねー、今年も桂花が咲いたのでまたお茶を作ったんですよー」
「あ、もうそんな時期? 気がつかなかったわ」
年中春に設定されていた聖地の気候は、お転婆な金の髪の女王候補が新女王となり即位した後、相も変わらずな彼女の趣味でずいぶんと四季の流れを感じさせる気候に変わっていたが、昔も今も、冬の花も春の花も、どういう仕組みか花は周期性を持って毎年定まった時期に咲くのである。
ひどく手間が掛かるせいでわずかの量しか作れない地の守護聖お手製の桂花茶は、水の守護聖にとっても夢の守護聖にとっても例年の大いなる楽しみのひとつだった。
微妙な味わいや香りを楽しむ余裕のまだまだない年少組とも、普段から茶葉とは異なる強い香りと味を好む2人とも、共有することのできない貴重なティータイムだ。
恐縮する主を押し留めて水の守護聖が準備したポットから、快い芳香が上がる。
「女王陛下が譲位しても、守護聖が交代しても、花は変わらず咲く、かぁ」
桂花茶の注がれたカップを口に運びながら、感動とも感慨ともつかない声でオリヴィエはそう呟いた。
「自然の流れは巡るばっかりで、時間の流れに押し流されるのはアタシたちだけ、ってことかしら」
そう言ってやや機嫌の悪くなった顔で頬に手を当てる夢の守護聖が、そういえば最近肌年齢を気にしだしているということを思い出して、リュミエールは少しだけ小さな声で笑ってしまった。
「あー、そういえばこの間、時間の流れといいますか、そういう事に関する本を読んだんですよー」
話し出してしまえば止まらないのがルヴァの悪い癖とわかっていても、彼がそうやって話を切り出せば、オリヴィエもリュミエールも、ついついそちらのほうを向いて話を聞く態勢になってしまう。
「なんでもですねー、文明が十分に発達する以前の段階では、時間は巡るものであって、流れる、という概念はないんだそうですよー」
「へぇ?」
夢の守護聖が合いの手を入れる。
「要するに、食べていくだけが精一杯の文明だと、春が来て種まきをして、秋が来れば収穫して、という季節の流れを繰り返すだけなんですねー。確かにそれでは、時が流れると考えるより繰り返すと考える方が自然な気がしますねぇ。」
「けど、種まきしたり収穫したりする人間の方は年を取っていく訳でしょ?」
「ああ、それもですね、個の人間として見れば時の流れ、ということになるのかもしれませんがー、全体として見てみれば、ある個体が生を受け、次の個体を残した後に枯れていく、ということの繰り返しの一環に過ぎないわけで……まあいわば、人間も作物も同じような繰り返しを永遠に続けるという点で、大した違いはない、という考えなんだそうですよー。」
ふと、夢の守護聖は軽く目を見開いた。
それから、2・3度まばたきを繰り返して、
「―――――――ああ」
得心がいったように、誰に語るともなしに呟いた。
「――――――時の輪、かぁ」
視界の片隅で、水の守護聖の肩がわずかに跳ねたのをオリヴィエは見逃さなかった。
「そうそう、そんな感じです。時の輪、うん、なかなか良い喩えですねぇ」
自分の言いたいことが伝わった嬉しさに、ルヴァは満面の笑みで微笑んだ。
「――――幸せなのかしら」
「はぁ?」
夢の守護聖の唐突な問いかけに、ルヴァのやや間の抜けた返事が返る。
「時の輪の中にいる人間って、幸せなのかしら」
ああ、そういうことですか、とルヴァは納得し、それから、うーん、と考え込んだ。
「――――――幸せだと、思いますよ。変わることのない日常、というのは――――」
そう聞こえたのは水の守護聖の声音だった。夢の守護聖の視線は意味ありげにそちらへ流れた。
穏やかさを好む水の守護聖の発言としての、正直な、及第点の回答、と取ることも出来る。が――――。
オリヴィエは自分の考えが間違っていないことをそこで確信した。
地の守護聖はやや俯いて考え込んだまま、うーん、ともう一度呟く。
「うーん、たしかに変わらない日常、というのは幸せかもしれませんが……時の輪、というのは、生きるだけで精一杯の生活を受け入れるための、緊急避難的な考え方なんではないんでしょうかねぇ……」
生きるだけで精一杯の生活を受け入れるための
「やはりですね、もっと文明が発達して、さまざまな娯楽や余暇を楽しむゆとりが出来、精神文化が栄えて、初めて人間は本当の幸せ、と言えるものを手にすることが出来るのではないのでしょうかねぇ……」
まあ知恵とか知識とかいうものが、繰り返しという性質のものとは程遠いですから、そう思うのかもしれませんけれどねー、と言って地の守護聖は笑った。
オリヴィエはもう一度、水の守護聖のほうを見た。
リュミエールは――――――――
水の守護聖は、凛然と美しい。
その姿のままに、微笑んでいた。
「遅い」
自分の執務室に帰るなり飛んできた言葉を、夢の守護聖は首を傾け手で払って避ける仕草をとった。
「イキナリそんな不機嫌な顔さらして、最高級茶葉の茶会の余韻を台無しにしないでよね」
その不機嫌な、しかし端正な顔と紅い髪の持ち主に、オリヴィエは顔をしかめ手をひらひら振ってそう抗議する。
「誰のせいだと思ってるんだ」
言葉の刺がさらに2・3本増えたようだ。
「何のコト?」
「このメモは何だと聞いてるんだ」
炎の守護聖が突き出したそれは、オリヴィエが今朝方オスカーの所へ回した走り書きのメモである。
「なんだこの、「『輪』に注意すべし。」とかいう訳のわからん台詞は。輪ってなんだ。だいたい何にどうやって注意すればいいんだ、そこらへんの輪っか状のもの全てに訳もわからず気を払えってことか」
本当はメモを回されてすぐ聞きに来たかったのだが、執務に手間取って今の時間になったんだ、とオスカーが苦々しげに呟いた。
「仕方ないじゃない、今朝の時点ではホントにそれしかわかんなかったんだから」
オスカーは眉根を寄せたまま、すっと氷色の目を細めた。今朝オリヴィエにあった出来事、そして今朝から今までの間に新たに判明したこと、その2点を問う目付きである。
どうしてそう短気かしらね、と心の中で呟きながら、オリヴィエは話し出した。
半透明の水の中にたゆたう『輪』のイメージ
「……なんだそりゃ」
「聞かれたって困るわよ。あくまでもイメージなんだから」
朝、夢の守護聖の起き掛けの意識に入ってきたそれは、しかし彼自身の夢ではないのだという。夢を司る守護聖としての彼の中に流れてきた、他の誰かの夢だ、という事はオリヴィエにもはっきりとわかった。
それはオスカーではない。しかしイメージに重なる印象はオスカーを対象としていた。
「そのときはそれしかわかんなかったから、とりあえずそれだけアンタに伝えておいたんだけど」
それから。
そう、それから。
先ほどの3人での茶会の時に。
オリヴィエは気づかざるを、確信せざるを得なかったのだ。
『輪』の夢を見た、他ならぬ当事者がリュミエールであること。
『輪』は「時の輪」を指すこと。
「時の輪ぁ?」
聞きなれない単語の意味を掴みかねている炎の守護聖。
オリヴィエは先ほどルヴァから語られた「時の輪」の話をしてやった。
「……それが俺とリュミエールとこの話に、どう関係するんだ」
「アタシの方が聞きたいわよ」
どうやらこの様子では、全く心当たりのなさそうなオスカーから事の真相を突き止めるのは難しそうである。
「……それにしても」
と、呟いたのはオリヴィエ。
無言のまま視線だけで、オスカーが何かと問い返す。
「ずいぶん普通に、リュミちゃんのこと話すのね」
その言葉に、滅多に見られない炎の守護聖の動揺を、オリヴィエはわずかに垣間見た気がした。
「まあな」
すぐに自分を取り戻したらしいオスカーが、にっ、と唇の端を吊り上げて笑う。
にじむ嬉しさは包み隠しきれない。
「単刀直入に聞くけど、どうなってんのよ、リュミちゃんとのこと?」
「ご想像にお任せするぜ」
「――――――あ、そう」
この分では、行き着くところまですでに行き着いているのだろう。
当てられた形になったことに気がついて、オリヴィエは少しだけ気が抜けた。
オスカーのリュミエールとの仲は、公表したわけでもないがことさら隠しているわけでもないせいで、改まって聞くものは誰もいないものの、周囲はおおよそ察している。
特に咎め立てすることでもない。同性の恋愛を認めるのは十分に成熟した文明では当然のことであるし、2人の仲が公務に差し障ったわけでもなく、ましてや当代の金の髪の女王は、即位してすぐに「守護聖退任後の聖地出入り自由」を宣言した前代未聞の女王陛下である。2人の恋仲を喜びこそはすれ、咎めるなどとはとても考えられない。
何も障害のない、祝福されうる2人。そのはずだった。
「だからこんなものは、ただの妙な夢、でいいんだよ」
オスカーはそう言うと、例のオリヴィエメモの紙を片手でくしゃっと丸めてごみ箱に投げ入れた。
オリヴィエがその様子にむっとして、思わず手を出す。
ごん。
後頭部に受けた拳の衝撃に、オスカーが思い切り機嫌の悪くなった顔つきで振り向く。
「お前なぁ――!」
「このバカ! アタシが単なる夢でわざわざ警告すると思うの?」
揶揄りながらもその下の真剣な表情に、オスカーは言葉を遮られた。
「……詳細もわかんないのに、こんな事言うのはどうかと思うけどさアタシも。でも、……ホントに気を付けなさいよ」
眉を潜めて、辛い何かを耐えるようにオリヴィエが言葉を続ける。
「イメージがさ。本気で、本当に、痛かった、んだよ」
嗚咽を殺して身体を震わせ、閉じられた両目から青い雫を止め処なく溢れさせる細い身体が、オスカーの視界に重なった。
「…………何か、他にわかることはないのか」
オリヴィエから視線を逸らして、炎の守護聖が呟いた。
「…………そうねぇ……」
今朝見たものを、頭の中に描き直す。
「………輪が漂ってた水のイメージ、リュミちゃんのイメージだと思ったけど、もしかしたら」
そこで一息ついた。
「涙、かもしんない」
今度の炎の守護聖の動揺は、誰の目にもはっきり見て取れるものだった。
しばしの沈黙が夢の守護聖の執務室の中を漂う。
「…………お前さ」
先に切り出したのはオスカーだった。
「あいつが泣いてるところ、見たことがあるか?」
「んにゃ、無い」
そう。リュミエールは泣かないのだ。どんな時も。一見たおやかで、渡る風にも涙しそうな風情の水の守護聖が。
守護聖という立場にある限り、その目の前で進んでいく宇宙の営みは心温まるものばかりでは決してない。たいていの守護聖が一度は涙するそれに遭遇した何度かの折にも、リュミエールはかの凛然とした姿のまま、目を逸らさず、唇を強く噛み締めて、しかし涙を流すことは決してしなかった。
多分この場にいない他の守護聖たちの中にも、水の守護聖の泣く所を見たことがある人間はいないはずである。
「アンタはどーなのよ?」
それこそが、この男の言いたいことなのだろう。
「…………あいつが泣いてる所なんて、見たこと、無かった。」
語尾の過去形は、夢の守護聖の予想した通りのものだった。
…………そう
どんな時にも、あいつは泣かなかった。
初めて抱いた時にも…………
……………………もう
もう、ずっと長いこと恋焦がれてきた。
どうしようもなく自分に欠けたものを全て補ってくれる、俺だけの半身。
どれ一つとして自分と一致するものがないからこそ、気になって、反発して、………狂おしいほどに魅かれた。
いや、あの時の自分はすでに狂っていた。
満たされない渇望を忘れるために、毎晩女に溺れた。
抱きながら思った。この体があのしなやかな躯なら。この指があの細くて長い指なら。この髪があの青銀色の髪なら。この瞳があの深海色の瞳なら。
この飢えは、どれほどに満たされるかと。この渇きは、どれほどに癒されるかと。
その行為ですら飢えと渇きをただ増すだけに堕ちた時、オスカーの本能は完全に理性を置き去りにした。