■ アインシュタインの特異点

※黒背景の解除はこちら

 自邸から、小さな平面モニター越し、宮殿の星の間の光景を見る。

 

 天井、壁、床までも、星の間の全方位に映し出される星空の、只中にまるで浮かぶが如き7人の守護聖の姿。

 漆黒と星屑の中、彼らの前には赤色超巨星。その巨大な朱い光は落日のそれ。

 次の夜明けを、永遠に迎えることのない。

 

 ひとつの星の生命が、今、尽きようとしていた。

 銀河の数は兆を越え、そのそれぞれが千億の星を揺藍する。

 生命を擁さぬ銀河には名すら無い、その名も無き銀河の中の、名も無き星。

 

 女王にさえ、宇宙の果ては判らないのだという。

 宇宙はあまりに広く百億光年を超え、女王陛下の不確定性原理を以てしても、その彼方を知ろうと思い力を用いれば必然的に空間も時間も歪むからだ。曖昧になる過去、現在、未来の位置関係。

 そんな歪みが、過去の女王候補、夢魔、未来の女王、聖獣、不死鳥、民の魂、それらの思念の通り道であるとも聴く。

 

 星の様子は目紛るしく変化していた。

 中心に近い側は次から次へと内部へ落ち込んでゆき、(C−O)と引出線で宙空に指し示されていた緑色の層が(Si)へ、そして(Fe)と書かれた青色の層へ変化する。それが即ち核融合の最終段階で、中心温度は加速度的に果てしなく上昇してゆき、その熱が外殻の(He)、(H)の層をどんどんと膨張させる。もともと大きかった星の外見が一気に更なる巨大化を遂げ、温度を感じるはずもないのに、熱ッ、という声がゼフェルの口をついた。

「わ…っ――」

 マルセルの言葉はそれ以上続かなかった。中心の青色のFe層が外層を巻き込みながら一気に収縮し、眩い白い光を発し始める。堪え切れないように上下方向へ細い光の筋が伸びてゆく。

 次の瞬間、

「―――――――!!!」

 星は四散した。閃光を伴い、光速に迫る速度で彼らを突き抜け飛び去る無数の粒子を撒き散らしつつ。

 目も開けられないほどの光の中、ランディやマルセルはその場にない粒子圧に耐えるように思わず両腕で眼前を庇っているが、光、闇、地、夢の守護聖たちは慣れた様子の涼しい顔で、手を翳し、あるいは目を眇めて、星の変化をじっと見詰める。

 見定めるのが困難なほどの光の中心で、一瞬、球形を形成し始めたかのような輪郭が、次の瞬間には中心からの黒い闇に飲み込まれた。唐突に生じた闇は撒き散らしたはずの光の一部を瞬間的に飲み尽くし、別の一部の光をその無限の重力で引き止め、別の一部の光は宇宙の果てに向かって秒速30万kmの絶対速度で飛び去り、そして残った――その奇妙な姿が。

 中心には黒い球。いかなる光も発しない、いかなる光も反射しない。吹き飛ばしたはずの種々の元素は再度その重力圏に囚われ、激しい速度でその周囲を巡りながら様々な色を発し、最終的に中心へと落ち込んでゆく――しかし、それら自身の姿も背景の星々も、まるで水晶球の外と中を入れ替えたように、漆黒の球の外縁に沿って奇妙に引き伸ばされ、歪んでいた。

「――これが、超新星爆発です。そして残されたこれが、ブラックホールです。」

 いついかなる時でも冷静なはずの王立研究院主任研究者が、ほんの僅か、悼むような声音を帯びた。間を置かず、すぐにその声は普段の調子に戻る。

「星の燃焼とは核融合そのものです。生成された宇宙ごとに異なりますが、誕生直後の宇宙は大部分の水素Hと少数のヘリウムHe、ごく一部の他の元素から成っています。宇宙に均一に散らばった水素の雲は、時間を掛けて重力により――もしくは、守護聖様方から場に与えられたサクリアを核として――凝集し、水素からヘリウムを生成する核融合反応が開始されます。」

 エルンストが説明しながら宙を軽く叩き、スライドが代わる代わる表示される。

「その後の運命は、星の質量次第です。軽い星ではこれ以上反応が進みませんが、重い星では反応が進むにつれて中心が凝集し、更なる核融合反応が引き起こされ、炭素C酸素O珪素Si、そして最終的にはFeを生成します。核融合によって凝集がますます進むと同時に、燃焼がより高温となるため外殻が恒星風によって拡大し、それぞれの元素が層を成して、巨大化と凝集とが同時に進むという事が起こります。これはごく簡略化した説明ですが、この状態を赤色巨星と言います。」

 エルンストの説明は若い守護聖たちに向けたものだ。応えるようにマルセルが質問を投げ掛ける。

「最終的に、って、そこから先はどうなるの? どうしてもっと反応が進まないの?」

「鉄より大きな元素の核融合反応は吸熱反応となるからです。つまり、核融合によって新たな熱を生成できなくなる、という事です。

 巨大な質量を持つ星が、核融合の生成熱で重力に抗し、自らを支えていたのに、熱を生成できなくなるとどうなるか。それが、先ほど見ていただいた超新星爆発です。」

 研究者の手の動きに応じ、スライドが新たな図に切り替わる。円の中心へ集中する矢印と、円の中心から外方へ発散する矢印。

「熱が生成されなくなると鉄が凝集する。そしてほぼ瞬間的に重力に押し潰され、鉄よりも遥かに高密度の中性子が形成されます。と同時に、この際にまた一部の熱が生成される。引き続き重力が働く。潰されてゆく元素は新たな中性子を生成し、あるいは中性子星として形成されつつある中心核に衝突し激しく反発する。爆発のメカニズムはこのようなものです。状況にもよりますが、形成された中性子星は一定の質量を超えると、その状態でも自らを支えることはできずに重力のみの力でただ一点へ崩壊します。これがブラックホールの形成です。ご覧いただいたように。」

 黒い虚無は未だ星の間のスクリーン内、吸い込み続ける渦の激しい放射を伴いながら、それ自身は不気味な静寂を保っている。

「…宇宙の多様性のためには不可欠のことなのです。これは。

 この爆発によってその星自身の燃焼は尽きるのですが、爆発の際のエネルギーによって更なる核融合反応が起こり、鉄より重い元素を生成します。それらが星間に散り、未だ大量に残されている水素の凝集、すなわち次代の恒星の形成と時を同じくして、その周囲を巡る惑星を、ひいては我々のような生命体を形成する。星の爆発なくして、複雑な生命の発生は有り得ないのです。……女王陛下は、おそらくその例外ですが。」

 エルンストは、そこで思案するように一息入れた。

「恒星アルゴールも巨大質量星で、いずれは同様に崩壊すると見られていますが、元素分布からみて、当面は安定して燃焼すると考えられています。」

「この間の会議で言ってた真空崩壊って、これのこと? 宇宙への甚大な影響って?」

「それはまた超新星爆発とは別の話になりますので、また今後、いずれ近いうちに、マルセル様。ルヴァ様か、もしくは私よりご説明申し上げます。」

「俺は要らねぇからな。」

 ゼフェルの言い草にランディが渋い顔をするが、これの方面に関してはゼフェルの方が詳しい事に否定はできないらしく、話を切り替えるように光の首座へ声を掛ける。

「オスカー様の惑星視察はいつ頃ですか? ジュリアス様」

「用意出来次第すぐにでも、と申し付けてある。二・三日中には出立するだろう。」

「ジュリアスもクラヴィスも、それぞれ腰巾着がいなくなってさぞ不便だろなー」

「ゼフェル!」

 ランディが声を高くするが、鋼の守護聖は一向に介さず話を続ける。

「らしくねぇ事したよな、リュミエールも。なんかオスカーみてぇ。」

 少し前にジュリアス様が私へ問うたことと、同じ。

 ジュリアス様の厚意で赦されたモニター越しの視聴は一方通行で、こちらから何かを向こうへ告げることは出来ない。

「さしずめ、オスカーが妙なこと言ってリュミエールをそそのかしでもしたんじゃねぇの? で、追っかけてって止めておいて、今度は自分が上手いこと出張る、ってな。」

 …そうではないのだと。

 彼が視察へ行くと聞いた時、身体が震えるほどの激しい感情に揺さぶられたけれど、そういう理由からではないのだと、伝えることも出来ない。

「ゼフェル、お前!」

 再度荒げたランディの声は、だが静かな低い声音に遮られた。

「あの行動は、あれが決めたことだ。そこに、どういう要因があろうともな。」

 ……クラヴィス様。

 オリヴィエが闇の守護聖の言葉を追って話を続ける。

「まあ、リュミエールにしちゃ妙だった、ってのには同意するけどね。逆にあの子らしいな、っていうのも判る気がする。先の事まで考えれば、粒子加速器の建設が緒に就いたばっかりのあの時が、後になってみれば一番最小限の被害で済むタイミングだったのかもしれない、ってね。あんたたちにとっては意外な一面かもだけど。」

 ………。

 私と同じくして押し黙ったゼフェルが、ややあってから渋い顔で疑問を呈した。

「…だいたいよ、粒子加速器の建設やら稼働やらを止めに行く交渉に、なんでオスカーが行くんだよ? 火に油、じゃねぇ、星に炎を注ぎに行くようなもんじゃねぇの?」

「そもそも粒子加速器の建設停止を要請するのに、真空崩壊の危険性について説明ができる人間じゃないと駄目でしょ。これでマルセルはアウト、ランディも怪しい。ルヴァはその2人に取り急ぎ講義する必要があるし、私は例の惑星へのサクリア注入役。リュミエールの水の分も夢で補っとくためにね。残りの御大らに比べれば、まあ、オスカーの方が使節としては妥当じゃない?」

「俺なら惑星の連中に説明できるぜ?」

「宇宙の命運がかかってるかもってのに、短慮の塊みたいな奴に任せらんないでしょ」

「なんだと!」

「アンタ、これ系の知識は飛び抜けてるし、今みたいに誰かがいなくなるとすぐ人手に困るんだし、早く大人になってよ。いい守護聖になるって期待してんだからさ。」

 オリヴィエに逆にしんみりした調子で言い返され、ゼフェルは言葉を失った。あまりこういう事を改めて言わない人だから、ゼフェルには堪えたかもしれない。

「…オスカーが、惑星視察を申し出た際にこう言った。意味はわからぬが」

 唐突に、それまで沈黙していた光の守護聖が話し始めた。

 全員の、そして私の意識がそちらへ集中する。

「……『俺の責任ですから』、と。」

 

 

 

 

 

「…………」

 

 久し振りに見た。

 あの夢だ。

 

 最初にこの夢を見始めてから、ずいぶんと長い時が過ぎた。

 

 

 ――それが何故なのか、今は朧げに判り始めているような気がする。

 

 

 

「ランディ! ゼフェル! ほーらぁ、早く行こうよー!!」

 晴れ渡った空のもとの青い草波の、少し離れた先で、今にも駆け出しそうな兎のようにマルセルが跳ね回っている。

「け、やっぱガキだな。あのはしゃぎっぷり。」

「よーし、湖まで競争だ! 負けないからな、用意、スタート!」

「あ、このやろテメー、ずるぃーぞ! 待ちやがれ!」

 土煙を巻き上げそうな勢いで、あっという間に2人の背中が小さくなっていった。

 その光景にくすくすと笑っていたティムカの腕を、がし、と別の腕が捕らえる。

「ティムカさん、ユーイさん、僕たちも行きましょう!」

「おう、望むところだ!」

「え」

 言うや否や、メルとユーイは左右からティムカの両腕を引っ張って駆け出した。ティムカのあの衣装が引っ懸からなければいいが、気をつけろよ、と胸の中で呟く。

「若い者たちは元気ですな」

「全くです。」

 眼鏡のブリッジを片手の中指で上げながら薄く応えたエルンストに、

「どうですか? 我々も彼らに倣ってみますか?」

 良くも悪くも聖地慣れしてきたヴィクトールがさも楽しげに持ち掛けて、エルンストの生気が停止した。

「……折角のお誘いですが、普段から身体を動かしている貴方と違って…申し訳ありませんが、ご遠慮しておきます」

 しばしの無言の後、あくまでも生真面目一本で辛うじてそう答えたエルンストに、ヴィクトールがからからと高らかに笑った。

 

 どこまでも突き抜けて宇宙に届きそうなほどの深みを持つ青い空の中を、輪郭のくっきりとした大小の白雲が3つ4つ、ゆっくりと流れていた。

 

「にしても、オスカー、あなたが一月も前からこんな行事を計画するなんて、ずいぶんと珍しいですねぇー。あの立派な招待状をいただいて、その案内がピクニックだと確認した時は驚きましたよ」

 雲と同じくらいのんびりとした口調でルヴァが話し掛けてくる。

「たかがピクニックでも、そのくらいの計画は必要だろう。これだけの人数だと」

「まあ、それはそうかもしれませんねぇ。なにしろ」

 神鳥の宇宙と聖獣の宇宙の、女王陛下、補佐官、守護聖、その双方の宇宙の架橋となった聖天使エトワール、ここまで数えて23人だ。

「……なんでも、彼にも招待状を送ったそうですね?」

「一応な。相変わらずどこにいるか見当もつかないが、一応王立研究院に依頼しておいた。」

「あなたにしては、本当に珍しい。」

「折角の機会だしな」

「まるでリュミエールのような事を言うんですねぇー。あなたが」

 そう言って、ルヴァが笑顔を綻ばせた。

 少し後ろを歩いていたリュミエールの方を振り返れば、明るい陽の下で、リュミエールは俺へ向かって笑っている。

 とても幸せそうに。

「この青い空には」

 深い色をした頭上の空を見上げて、その蒼天の青を海色の瞳に映しながら、リュミエールが語る。

「見えないけれども、夜と同じように数多の星々が輝いています。そして」

「恒星の終末、超新星爆発の時には、星は数日に亘ってそれまでの何百倍にも輝き、昼間の空でもその煌めきを目にすることが出来る。そうだな?」

「ええ。その通りです。」

 細い月が中天に見える他は、当然のように星も見当たらない、いつもの聖地の青い空だった。新月に近いから今日の夜は星空が良く観察できるだろう。

 視線を下ろしたリュミエールは、少し暑さを感じる日差しにやや頬を紅潮させ、再度俺へ笑いかけた。

「ありがとうございます、オスカー。こんな機会を作っていただいて。とても楽しいです。…とても。」

「まだこれからだろう。湖畔に着いてもいない。楽しんでもらえているなら何よりだ。」

 そう返事をしたら、リュミエールは屈託の無い笑顔を見せてから、年少の者たちを追いかけて走り出した。入れ替わりにオリヴィエが近付いてくる。

「リュミエール、いい表情してるね。お手柄じゃないの、オスカー」

「もっと褒め称えてくれてもいいぞ」

 俺の責任だからな、とは言わずに。

「……アリガト。私からも、礼を言うよ。」

 思わずと言った風にしんみりしそうになる悪友の後頭部をはたき、甲高い怒声を背にして俺も思い切り走り始めた。

 

 

 湖畔まで着いてみれば、そう運動には強くないゼフェルは木陰でぶっ倒れていて、リュミエールがタオルだ水だとこまごま介抱してやっている。こちらはぴんぴん元気なままのランディとマルセルが、聖獣の宇宙の年少組と協力して気が早くもバーベキューの準備をしているが、慣れていない奴がやると炭に充分な火を熾すまでに意外と時間が掛かるから、昼には丁度いい程度かもしれない。

 聖地の風光明媚な湖畔の脇に立つログハウスは光の守護聖の所有する別荘で、建物の収容力もレクリエーションに興ずる敷地も充分にあり、こういう機会にはこれまでにも何度か使わせてもらっている。到着したジュリアス様に改めて礼を申し述べ、持参した物品と置き用具とを持ち出して、今日一日を過ごす用意を始める。

 油断していたら、到着したオリヴィエに背後から頭を叩き返された。

 

「すごくいい天気だけど、今日みたいにずっと外にいるとちょっと暑く感じるね。なんだか太陽が近くなったみたいだ」

とランディが、準備を進めながら太陽を仰ぎ見てそう言えば、

「けっ、んな訳あるか」

と休んでいた木陰から、わざわざゼフェルが茶々を入れる。

「太陽っていえばさぁ」

 またもや言い争いに発展しそうだった気配の2人をさっくりと無視して、マルセルが無邪気に切り出した。高くてよく通る声は周囲の耳を自然と集める。

「ぼく、ずっと不思議に思ってたんだけど。太陽って、宇宙の中に浮かんでる恒星なんだよね。そして主星が惑星で、自転しながら、太陽の周りを公転してるんだよね?」

「? そうだけど?」

「それで、聖地は外界と隔たりがあって、主星の他の場所とも時間の流れが違ってて、外界のほうが時間の流れがずっと早いんだよね?」

「?? それがどしたってんだ?」

「じゃあ、聖地の太陽って、どうしてぼくらが感じる一日に1回、昇って没むの? 主星の他の場所だと、もっと早い周期で昇り没みしてるってことだよね? ぼくらが見てるあの太陽って、いったい何の姿なの?」

 それまで恐縮する守護聖たちを尻目にきゃっきゃと食材の準備に興じていた4人の少女たちが、その言葉に、がっ、と音がしそうな勢いで振り向いた。視線に気付いたマルセルの腰が無意識に引ける。

「それはねぇー、」

「代々の、宇宙の女王と、」

「女王補佐官だけの、ですわね、」

「秘密、だヨッ☆」

 この上なく美しく清らかな4人の笑顔の、有無を言わさぬ絶対的なその圧迫感に肝が冷える。顔を青くしたマルセルがこわばった笑顔を返し、小さく「は、はい…」と呟いた。

 この件に関してだけは俺にも皆目見当がつかず、やがて諦めてからはあえて意図的に考えないようにしている。

「王立研究院では、仮説がなくもないのですが」

 つい最近までそこの主任研究員だったエルンストが、懐の端末を取り出してメモらしきものを見ながら話し始めた。

「相対性理論によりますと、いかなる情報も光の速度を超えて遣り取りすることは出来ない、とされています。例えばですが、あの太陽の光。あの太陽までは1天文単位相当の距離があるため、太陽から発した光が主星へ届くまでに約8分を要します。今この瞬間に太陽が消滅したとしても、8分後まで我々はそれを知ることが出来ないわけです。同様に、」

 エルンストはそこで一息置いた。

「我々と事象との間に、通信が不可能なほどの隔たりがあれば、そこで起こっていることと我々に起こっていることとに関連性があるかどうかを確かめる術は永遠に存在しません。極端な話、そちらとこちらで時間の流れが同じかどうか、空間に連続性があるかどうかすら判らないのです。そこで研究院では、聖地と外界との間に、通信を不可能にするようなこういった境界が存在すると見ています。すなわち外界の主星の太陽と聖地で見られる太陽との時間の流れが、同一のものであるかどうかを計る術がないような境界が、です。」

「すごーい! よくわかんないけど、それで説明できるんだね?」

「いえ、残念ながら、この理論では不完全と言うしかない代物でござりまして」

 微妙に語尾がおかしいし、震える手で内ポケットに仕舞ったつもりの端末は滑り出て草の上にぽとりと落ちた。

 さしもの理論家にも、この領域はアンタッチャブルであるらしい。

 薄ら寒い顔を見合わせた後で、その場の全員が俺と同じようにそれ以上の追求を断念した。

「さて」

 昼の準備にも充分な人手が戻ったのを確認してから、俺は少し傾斜を登り、見晴らしのいい樹の下の葉陰が作り出す程良い半日陰に寝転んだ。

「オスカーさまぁー」

 湖畔からメルが手を振っている。

「なにしてるのぉー?」

「ちょっとな。昼寝だ。」

 がばりと身を起こして反応したのはゼフェルだ。

「はぁー!? バカじゃねぇのぉー!? こんな所までわざわざ来ておいて昼寝かよ!?」

 今の今まで転がっていたお前に言われたくはない。

「これも大事な要件でな! せいぜい俺の分も働いておけよ!」

 別方向で、オリヴィエがこちらを振り向くのが見えた。その怪訝そうな表情の細かい所までがはっきりと見て取れそうだった。周囲の人間に声を掛け、小高くなったこちらに向かってくる。

 リュミエールは、こちらの事も気に留まらない様子で、守護聖たちの輪の中で和やかに笑っている、その姿をもう一度、目に映した。

 オリヴィエの気配が近づくのを感じながら、頭上の葉擦れに目を遣る。鮮やかな新緑、その向こうの青い空、白い雲、太陽の光、そして見えずとも、空の彼方で輝き続ける星々。

「オスカー」

 視界の中に金とピンクの髪が加わる。膝を付いて覗き込むその姿に、夢を見始めた頃のあの時の目覚めを思い出した。もう遠くの昔。

 夢の守護聖の逡巡は、言えるものなら、やめなよ、と言いたいのだろう。夢なんてどうでもいいんじゃない、と。懐かしいあの頃のように。

「心配するな」

 手を伸ばして前髪を撫でたら、オリヴィエは泣きそうな顔をした。

「俺の責任だからな。必ず、俺が救ける。」

 

 

 

 

 謹慎の解除であろう、と予想していた。オスカーが発った後だったからだ。

 人員を2人も欠いたままでは、守護聖たちの執務が滞ること甚だしい。

 だが邸外から聴こえてきたのが、馬車でなくゼフェルのエアバイクの音であること、それもかなりの速度を出してきたのだと気付いて、自室から飛び出て玄関から屋敷の外へ出る。

「乗れよ」

 素早くヘルメットを渡してきて再度バイクに跨るゼフェルに、無言で何があったのかを問うた。

 ゼフェルは私の視線から目を逸し、一瞬だけ逡巡した後、独り言のように呟いた。

「オスカーが、……惑星で軟禁された。」

 

 大丈夫か、と顔色を心配したゼフェルに問われるが、頷いて眩暈う視界をすぐさま振り払い、後部席に乗った。

 

「俺さぁ! ちょっと判った気がすんだけどよぉ!」

 王立研究院に向かう途中、最高速度でバイクを飛ばすゼフェルが叫んだ。

「危ない目に遭うんならさ、自分がその立場になった方が、よっぽど気が楽なのな!」

 何を思っての発言だったのか。

 しかしその言葉は、私がずっと考えていたことそのままではあったから、無言で同意を返した。

 

 王立研究院に駆け込めば、中空のモニターを守護聖たちが取り囲んでいる。映像は酷く乱れ、かなりの遠くのアングルから室内の複数人を映していて、だが中央で他の者に囲まれて立派な造りの椅子に掛けている姿が、オスカーその人なのだと不思議とはっきり見て取れた。

「惑星側の王立研究院分院が政府関係者によって制圧され、次元回廊のゲートも切断されました。惑星は火山帯と海溝の起伏が甚だしく、王立研究院以外の場所へ次元回廊を開くことが著しく困難で危険です。映像は政府機関の建造物内のもので、正規の監視モニターからではなく、電磁波や粒子波を傍受する形で辛うじて室内の様子を捉えています。」

 エルンストが必要最小限の情報で今の状況を説明してくれる。彼も最近は神鳥の宇宙と聖獣の宇宙とを行き来する事態が生じて忙殺されているから、こちらの宇宙にいてくれている時で良かったと思う。

 これもまた酷く乱れて聞き取りづらい音声が流れるが、沈黙を破るその切り出しは紛れもない、オスカーの声だった。

『それにしても、女王陛下に弓引くとは。ただで済むとは思っていないだろうが、一体どういうつもりだ?』

『弓引くなど。そのような恐れ多いことを、よもや。

 先ほどもお知らせしました通り、王立研究院が不測の事態で現在のところ機能を停止しておりますので、炎の守護聖様と、他室にてお控えの随身の皆様とに於かれましては、次元回廊の復旧までごゆるりとお過ごし頂ければと。我が国を挙げて歓待申し上げます。重ね重ね、他意はございません。』

『では、宇宙艇を用意しろ。ここにこれ以上、用は無い。くだらぬ追従と招宴だけだったな。』

『それも叶わぬことで。現在、我々の惑星は複数の国家が非常に緊迫した情勢に至っております。宇宙港、星間航行の利用は他国からの攻撃の恐れがあります。守護聖様をそのような危険に晒すことは、とても。』

『その情勢のそもそもは、あの粒子加速器の建設に関わることだろう。守護聖に刃を向ける物好きは貴様らの国くらいだ。力づくでここを出て、俺が王立研究院でも宇宙港でも復旧させてやればいいのか?』

『ご随意に。いざとなれば、我々もろともこの建物を破壊するよう既に命令を出しております。守護聖様のお命をみすみす失うことは、いかにその守護聖様自身のご決断と言えど、我らが宇宙の尊き女王陛下がお許しになりますまい。』

『我らが宇宙、か。聞いて呆れる。その宇宙を危険に晒す真空崩壊の可能性についてはどう考えている。未だ粒子加速器の建設は、むしろ勢いを速めて進行しているらしいが。』

『可能性。まさにそれでございます。お話を伺えば、真空崩壊に至るエネルギー値については推測でしかないとのこと。一方で我々は、火山と海洋に囲まれて活用が困難な狭小な土地しか持たず、他国と渡り合える技術力を得るためには、あの粒子加速器の完成と、その成果に掛けるしか道は無いのです。』

『…どれだけ話しても無駄なようだな。』

『お話し相手でしたら、いくらでもどうぞ、お相手いたします。それで時間が経過するのであれば。

 全ては順調に進んでおります。

 我々は、ただ、時間さえあればよいのです。』

 

 それを限りに室内には再び沈黙が訪れ、気を利かせたつもりか、オスカー以外の惑星の人々は室内を去った。

 彼の沈黙が私たちに刺さるようだった。対照的に、映像と音声のノイズがひときわ酷くなる。

 ともすれば消えそうになる彼の様子に神経をそばだてた、その時だった。

 

 

 彼がこちらを振り向いた。

 

 

 私達の事が伝わっている筈もないのに、振り向いて、その氷青色の瞳で私を見た。

 唇が動く、ノイズに埋もれて殆ど聞き取れない、しかし私にはまるで耳元での言葉のように、

『リュミエール』

 はっきりと、彼のその深い声が脳裡に響いた。

 彼は、その瞳で、私を見据えて、言った。

 

『……炎を消せ。

 お前にしか、出来ない事だ。』

 

 遠く離れた私の心が、遥か深くの彼の底へ落ちていった。

 

 

 ……オスカー。

 

 

 もう、逃れようがなかった。

 特異点のような貴方の元へ、私の存在の全ては落ちていく。

 

 ふと、彼が笑った。

 これまでの彼らしくない、優しい微笑みだった。

『夢から覚めたか?』

 たぶん、と私は心の中で答えた。

『俺は覚めた。』

 彼も答えた。

 

 

 必ず。何があっても。

 貴方は、必ず、私が救けます。