「マルセル、もうすぐあなたのお誕生日ですね」
今朝方彼の庭に咲いたという白百合を執務室に届けにきてくれた最年少の同僚に、リュミエールはそう声をかけた。
花瓶に活けられた花勢を整えていたマルセルはその言葉に振り返って、すみれ色の目をぱちくりと丸くしている。どうやら彼自身はすっかり忘れていたらしい。
「何かお誕生日プレゼントに欲しいものはありますか? 当日はみんなでパーティーも開く予定なのですけど」
白百合の花束にも勝る花のかんばせでにっこり微笑まれ、マルセルは思わずどぎまぎしてしまった。
「いえっ、そんなっ、別に欲しいものなんて、……あ………」
「何かあるのですか?」
「あの、でも………」
言い難そうにうつむいているハニーブロンドの頭を、リュミエールは優しく撫でた。
「とりあえず言ってごらんなさい?」
水の守護聖の流麗な声音でそう言われて、逆らえるものはこの世にいない。
「……あの、僕……中学校の修学旅行に行けなかったんです。スキー旅行で……すごくすごく楽しみにしてたのに……」
14歳で聖地に招聘。
なるほど。
思いつめたような瞳が、ぶんっ、と振り上がってリュミエールのほうを見た。
「あのっ、だからっ、僕……!」
白銀の世界。
純白に彩られた山並みが連なる。
空は快晴。その下に、色とりどりのウェアが流れてゆき、パウダースノーを巻き上げる。
その様子をゲレンデの最下部から眺める、9つの影。
何故そこで1列に並んでいる。会議だの謁見だののたびに順番どおり立たされる普段の癖か。
聖地の守護聖9人は、揃って「修学旅行・スキー旅行」に来ていた。
もちろん一番強硬に反対したのは首座たる光の守護聖のジュリアスだった。
「守護聖全員が旅行で聖地を離れるなど……」
そう言って相変わらずの眉間に皺を寄せた渋い顔をした堅物の彼である。
そのジュリアスの説得に回ったのは、意外にも彼の右腕であるオスカーだった。マルセルの要望を一番最初に聞いたリュミエールから頼まれてのことだったが、密かに想いを寄せるかの人の頼みだからといって理由もなく引き受けたわけではない。
「現地で2泊したところで聖地時間では数時間にもなりません。同じ時間をかけてパーティーをすることを考えれば、マルセルのたっての望みということですし、叶えてやってもいいのではないのでしょうか?」
最も信頼する部下のその言葉に、ジュリアスも渋い顔は変わらずながらも承諾した。なんだかんだと言っても、ジュリアス自身、年の大きく離れた弟のようなマルセルには甘いのだ。
リュミエールから丁重な礼を受けたオスカーはそっけなく返事しただけだった。こんなことで恩を売ろうとは思ってない。オスカーはそれほど度量の小さい人間ではなかった。
リュミエールから真の敬服と愛情を受けるのは、彼との勝負で正々堂々と勝ってから。自分でそう決めた信条を曲げない彼だった。
意固地になってると言えなくもないが。
まあ何はともあれそんな訳で、とある惑星(主星は守護聖の名前や姿を知っている一般人が多いだろうということで避けられた)の、冬にあたるレジャー地に、守護聖たちがお忍びで降り立ったわけである。
しかしウィンタースポーツは、滑れる、滑れない、の個人差が大きい。
とりあえず初日は幾つかのグループに分かれて行動することになった彼らだった。
<<ジュリアス、マルセル―――スキー教室>>
とりあえず、まったくスキーの経験がなく、また独学で滑れる自信もない2名は揃ってスキー教室に入ることになった。
ゴージャスブロンドの威風堂々たるジュリアスとハニーブロンドの愛らしいマルセルは、傍目には微笑ましい兄弟、とか、親子、とかに見えなくもない。
他の一般人に紛れて彼ら2名が参加したスキー教室は、順当にお約束通り、準備運動とスキーを履く練習から初めて、歩く練習、斜面を登る練習、と進んでいく。
マルセルはそれなりに覚えがいい。さすがにまだまだ子供である。
一方ジュリアスはしっかり苦戦中である。推定年齢25歳に初スキーはやや厳しいものがあるか。しかし苦戦しながらもなんとかついていっているのは、長年首座の守護聖として培った根性と意地の賜物であろう。
しかしその努力も、ここで空しく費える。
スキー入門者最大の、そして最初の壁、ボーゲンの練習と相成ったからである。
教室の参加者全員で、息を切らせながら先程習ったばかりの蟹歩き斜面登りを終えた後、順番に従って先生のお手本どおりにスキーを「ハの字」にしながら下ってゆく。
各人各様に転ぶ転ぶ転ぶ、その様子を見るジュリアスの表情はやや青い。
先にマルセルの順番が来た。
必死な顔をしてスキーのエッジを立てながらじわりじわりと下ってゆくマルセル。思い切った前傾姿勢はなかなか筋がいい。……あ!バランス崩した!
こてん。
転んでしりもちをつくマルセル。
雪を払いつつ、先生に手助けされながらはにかんで立ち上がるマルセルの姿は実に可愛らしい。
そう、マルセルであれば「可愛らしい」で済まされるが……。
(…………………この光の守護聖ジュリアスともあろうものが、あのように大衆の面前で転ぶわけにはいかぬ…………)
次はジュリアスの番である。悲壮な決意をその顔に顕しながら、ジュリアスはストックを突いて(というよりも離して)スタートした。
じりじりじりじり、下ってゆく。しかしあからさまに腰が引けている(←傍目には下手に転ぶよりも格好悪い)。
おまけにスキーというものは転ぶことを意識しながら躊躇うのが一番まずいのである。あ。あ。あ。あ。…………ほらね、やっぱり顔面からこけた。
だからいわんこっちゃない。
<<ランディ―――スノーボード(エアリアル)>>
ランディもウィンタースポーツは初めてであったが、スキー教室などというまどろっこしい事がこの元気いっぱいの直情少年に出来るわけがない。
スキーよりも気に入ったらしいスノーボードを抱え、ゲレンデを(走って)登ってはボードを装着して滑り降り、そのたびに転んでは派手な雪煙を巻き上げる。
しかしこの、言っては何だが理論と思考を置き去りにしたような少年が知っているはずもなかろうが、えてしてそういう滑り方が一番上達しやすいのである。小1時間する頃にはリフトを使うようになっていた。立派なものである。一番最初にリフトに乗った時、気が逸りすぎて前の組に突っ込み、リフトの非常停止ボタンを作動させる羽目になってしまったことにはこの際目をつぶろう。
そんなわけで、ランディは下部ゲレンデを縦横無尽に滑りまわっていた。お気に入りはゲレンデ内に設置されたクオーターパイプと、その下に続くワンメイクジャンプ台であるらしい。
そう、彼の挑戦していたこと。
スノーボードでランディジャンプ。足から先に回る逆方向の回転なので、正確に言うならば逆ランディジャンプ、になるか。
思い切りのいい彼なので、たまに成功しては現場を通りかかる同僚に嬉々として報告している。しかしもちろんほとんどは失敗に終わり、遥か空中からゲレンデへ頭ごと突っ込んだりしている。
頼むから宇宙を律する守護聖ともあろうもの、首だけは折らないでほしいものである。
<<ゼフェル―――スノーバイク>>
どうやって何時の間に持ち込んだのであろうか。
器用さを司る鋼の守護聖お手製のスノーバイク。
ご満悦の表情である。
しかしゲレンデ内を走り出したとたん、スキーパトロールにゲレンデ内走行禁止を注意され、うっせぇいちいち細けぇ事言うんじゃねぇよとかなんとか言い捨てながらスキー滑走禁止区域の方へバイクごと走り去ってしまった。
(注:スキーだろうがスノーバイクだろうがゲレンデ外の滑走は雪崩発生の危険があるので、良い子だけでなく悪い子も絶対にやってはいけません。)
オスカーは昼前頃、谷の方で急に調子を外した甲高いエンジン音と聞きなれた声での聞きなれた叫び声を聞いたような気がしたが、あえて気にしないことにした。
<<ルヴァ―――スキー(フリー滑走)>>
「え〜、こんな場合はどうするんでしたかねぇ……」
身体中についた雪(パウダースノーなので軽く払うだけですぐ落ちるのが幸いである)を払いながらよろよろと立ち上がり、幅の広い初心者ゲレンデのど真ん中で懐から取り出した本は「1日で滑れる!初めてのスキー(ハンドブック版)」
1日で滑れるようになれば誰も苦労はしていないということを、知識(だけ)を司るこの守護聖はわかっているのだろうか。
「ああ〜なるほど、こうすれば良いんでしたね〜〜」
ぽむ、と音を立てて本を閉じ、嬉々とした表情を見せながら再び本を懐に仕舞い込む地の守護聖。緑色した毛糸のサンタ帽子のボンボンが嬉しそうに揺れている。
本当か!? 本当にわかっているのか!?
「あれ? あれれ? あれれれれれれあれあれれ?」
ほら、滑る準備しようとしたとたんにこれだから。しかも掛け声が微妙に芸達者だ。
「あ〜〜れ〜〜〜〜」
これは悲鳴。続いて、派手な雪煙。
新雪に埋もれた姿はぴくりとも動かない。そろそろ致命傷か。
はっ、むくりと起き上がってきた。まるで倒されても倒されても復活してくるゾンビのようだ。
「いや〜、参りましたね〜〜」
そこでまたはにかみながら懐の本を出すんじゃないっ!
少しはランディを見習いなさい。……それも無理があるか。
以後、この日の午前の初心者ゲレンデでは、何度も同じところで同じように転んでは懐から本を取り出して読み、再度二度三度転びながらも頭の帽子だけは死守する奇妙な人物の姿が見られ続けたという。
<<オスカー、リュミエール、オリヴィエ―――フリー滑走>>
上・中部ゲレンデの注目を一心に集める3色の疾風。
スキーを履く白水色、ショートスキーの真紅色、スノーボードの明金色。
競い合うように、そして競演するように、シュプールを描きながら風のように駆け抜けてゆく。
そしてそのそれぞれがどれも趣の異なった、しかし絶世の美形とあれば、これはもう熱い視線を注がれない方がおかしい。
まあ言うまでもなく、リュミエールとオスカーとオリヴィエの中堅3人組である。
「いやぁ〜もぉリュミちゃん、いくらこの私のコーディネートだからって、似合いすぎだわよ☆」
2人を待っていたオリヴィエの横に純白のスキーウェアのリュミエールが滑り降りてきて止まるなり、オリヴィエはそう声をかけた。
「ありがとうございます、オリヴィエ」
リュミエールは少しはにかみながら、微笑んでそう答える。
「本当はスキー場で白って良くないんだけどね、あ、吹雪の時とか万一遭難した時とかに見分けにくくて危ないからなんだけど、でもぉ〜やっぱりリュミちゃんにはこの色にして良かったわ♪」
そう嬉しそうに話すオリヴィエ自身のスキーウェアは、光沢のある金の布地に紫やら赤やら黄色やら青やら緑やらが随所に施してある、まあ相変わらずの彼らしいスタイルである。
流石に寒冷惑星の出身であるだけに、オリヴィエはとっくの昔にスキーに飽き、スノーボードの腕も一流である。
他の2人も負けてはいないが。
ざあっ、と音とパウダースノーの雪煙を上げてオスカーが横に止まった。赤を主体に、灰色と黒をスマートに配したウェアを着ている。
「アンタがスノーボードじゃないってのは意外だったわね」
オリヴィエがショートスキーを着けたオスカーに向かって言う。彼が履いているそれは、長さが70センチ程度の短いスキー板で、ストックを持たずに滑るものだ。
「ゲレンデのレディ達の気を引くために、ボードでカッコつけて滑ってるのかと思ったわ」
「リフトを降りた後にゲレンデの脇に座り込んで、もそもそボード装着してる姿が情けなくてな」
ああ、そういうことですか、と、オリヴィエはそういう事に関して気の回りすぎるほど回る同僚にやや呆れた表情を向けた。
にやりと笑ったオスカーは、軽く手を上げて2人より先にリフト乗り場のほうへ進んでいった。その後姿は、オリヴィエから見てもなかなか様になる。
雪と縁のない惑星の出身であるオスカーがオリヴィエと肩を並べるくらいに滑れるということは、きっと今回の旅行よりも以前からずいぶん滑り込んであるのだろう。
いつ、誰と、何のために、という部分はあえて無視。
オリヴィエはリフトに乗るため、スノーボードの片足の金具をぱちんぱちんと外してゆく。リュミエールは彼の横でにこにこと微笑んで待っていた。
まあたぶん、スポーツ好きの炎の守護聖が聖地を抜け出しては女の子を口説くついでにスキーを覚えていたのであろう事は納得するとして。
着任以来、聖地から出る事がほぼ(ましてや抜け出す事なんて確実に)無い水の守護聖が、いつこれほどまでに滑れるようになっていたのか。
確か彼の故郷は海洋の豊かな惑星で、そしてそういう自然環境はえてして温度差の少ない、温暖な気候をもたらすはずなのだが。
「リュミちゃん、いつ頃スキーしてたの?」
「ええと、今日が初めてですが」
「は?」
夢の守護聖はかがみ込んだ姿勢のまま、引かれたように顔だけを上げて、ぽかんと口を開けた。
「……どうやって滑り方覚えたの?」
「ゲレンデで他の方の滑る様子を見ましたから……」
そう言いつつ、答えが自明の不思議な質問を聞かされたようにリュミエールは少し首を傾げた。
よーするに、今日見て覚えただけって事? それでアタシと同じくらいに滑ってる?
「……リュミちゃん、その話、オスカーにしちゃ駄目よ」
きっとそれなりに滑れるようになるまでにそれなりに練習を積んだ、そしてオリヴィエにはバレバレにリュミエールに惚れている様子の炎の守護聖に、聞かせる内容としては酷だとオリヴィエは思った。
「は?」
何もわかっていない様子の水の守護聖。こんな所は一向に鈍いままだ。というか変。
「い・い・か・ら・わかった?」
「……はい」
相変わらずの不思議そうな顔で納得はしてないものの、素直にオリヴィエの言う事を聞くリュミエール。
普通じゃないとは思っていたが、ここまで普通でないとは思わなかったわ、とオリヴィエは心の中で軽く溜息をついた。
でもまあ、そんな所がいいのよね☆ オスカーがこの天然リュミちゃんを口説けるかどうか見ものだわ〜♪ と一転して無責任に考えるオリヴィエ。
炎の守護聖は、友人に恵まれていないかもしれない。
……で、残りの1人はというと。
<<クラヴィス―――ファミリーゲレンデ>>
ファミリーゲレンデ。
それはたいてい、ファミリーという名を借りた、お子様広場。
穢れを知らない無垢な子供達がきらきら目を輝かせて、そり遊びや雪だるま作りに白い息を弾ませる、そんな無邪気な遊び場所。
の、片隅に。
笑う子も泣き出す、灰色のどんより雲を被った一角。
かまくらだ。
中にいる人物の闇のサクリアが、沁み出しているかと思われるような。
誰一人として確認できない、その内部で何が行われていたかというと。
「……………リュミエール、もうすぐ餅が焼けるぞ…………」
当然のように返事はなく、ぱちりと軽く七輪の木炭が弾ける音がするのみ。
「…………………………………」
闇の守護聖は無言のまま、刷毛で網の上の餅に醤油ダレをもう一塗りした。
さて、昼休憩。あらかじめ12時にゲレンデ中腹のレストランに昼食集合ということになっていた。
広いホールのようになったカフェテラス方式のそのレストランに集まったメンバーは以下の通り。
・ややよれよれのジュリアスとマルセル、しかし明らかに2人の疲労度には差がある。
・かなりよれよれのルヴァ、昼からは確実にダウンであろう。
・あちこち痣だらけだがそれでもいつもに輪をかけて元気そうなランディ。
・大量の餅を皿に乗せて小脇に抱えたクラヴィス。
・普段通りの極楽鳥オリヴィエと普段通りの物静かなリュミエール、一件普段通りそうに見えてよくよく見るとやや焦りの見られるオスカー。
・ゼフェル、姿を現さず。
いい意味にしても悪い意味にしても結局人目を引く人間が9マイナス1人も集まれば、当然目立つことこの上ない。
極寒の雪も一瞬で解ける周囲からの熱い視線を受けながら、オスカーは横目で一同を見渡した。
疲労の色を見せながらも、ゲレンデ食堂のチープなピザセットをナイフとフォークで毅然と食すジュリアス。庶民な雰囲気のレストランの庶民な雰囲気の食事にごく自然に馴染み、各々のメニューを食べながら、ゼフェルってばどうしたのかなぁさああいつのことだから約束の時間なんか忘れて機械いじってんだろああ〜でも少し心配ですね〜〜と会話する3名。クラヴィス様美味しいですと満面の笑みを浮かべて焼餅(醤油味)を食べる水色の想いビト。無言で無表情のまま視線だけは暖かくそれを見守るクラヴィス。そしてにやにや笑いを浮かべながら、シアワセそうなリュミエールと憮然としたオスカーを交互に見やるオリヴィエ。
……スキーだったら、勝てると思ったのに………
相変わらず、躾濃く、いまだに、水の守護聖との対決に拘るオスカーであった。
今回の勝負は、けっこう自信があった。なのに、ああ、なのに。
ウィンタースポーツまでいけてるなんて、聞いてない。
ちなみに言うまでもないことだが、勝負と思っているのはオスカーだけである。
オスカーはハンバーガーの最後の一欠片を口の中に放り込むと、音高く席を立った。
「どーこ行くの?」
極楽鳥の、明らかに面白がっている華やかな声。ああ、腹が立つ。
「滑りに行くに決まってんだろ」
憤然とした表情で、オスカーはそれだけを答えてその場に背を向けた。
こーなればもっと練習を積んでやって、最終日にはなんとしてでも勝ってやる。
最終日。
2日後のその日に何があるかは、今のところオスカーだけが把握しているらしい。
その日の午後。
ジュリジュリはマルセルにコツを教えられながら(ん?)やっぱり初心者ゲレンデで2人して練習。微笑ましいことだ。
ランディ、相変わらずクオーターパイプ+ワンメイクジャンプ台。なかなか様になってきた。やはり無駄に運動バカ好きではない。
ゼフェル、行方不明。
ルヴァ、ダウン。ゼフェルの行方を気にしながらも先に一人で宿泊先の部屋に戻る。
中堅組、午前と同じように滑りまくり。相変わらずいい勝負。
そしてクラヴィスのかまくらの中で、何が行われていたか、誰も知る者はない。
とーおきーやーまにーひーはおーちてー。
辺りが暗くなる頃、一同はホテルに戻った。20階を越す大型の、外見はちょっと小洒落たホテルだ。
ルヴァが先にフロントで受付を済ませていたので、朝着客用の一時荷物預かり場から荷物を持ってそのまま上階へ上がった。
「………………………」
「どうした? オスカー」
「………ジュリアス様、これは………」
「ふふふ、驚いたか? どうだ、完璧であろう?」
淡い照明のロマンチックな作りの廊下のドアを開けた先に広がるのは、薄茶けてささくれた畳がで〜〜〜っと広がる、どう見ても「合宿用の大部屋」。窓に障子こそ無かったが、壁の一部に並ぶ襖の向こうは、どうやら布団用の押入れらしい。
部屋の中央では、地の守護聖がぽつねんと布団を敷いてすぴすぴ寝ていた。
「修学旅行というものはこういった部屋で泊まるものであると聞いている。ちゃんと調べたのだぞ。」
いったいいつの世代の話ですか。
「ところがなかなかそういった部屋を用意している宿舎がなくてな、苦労して見つけたのだ。こういった部屋はこのようなホテルにあるものなのだな」
いや、普通は無いです。そりゃオスカーも驚くだろう。マルセルやランディ辺りは広い部屋を走り回って嬉しそうにはしゃいでいるが。
「………………」
かくしてホテルを見た時から期待に胸膨らませ、ツインかトリプル、できればリュミエールとツイン同室で、そしてあわよくばと思っていた(あわよくば何なんだよ)オスカーの期待はあっさりと打ち砕かれたのだった。
「ああ、それと最上階に展望大浴場もちゃんとあるのだぞ」
それは嬉しいかも、と思ったオスカーだった。をいをい。
夜もとっぷり更ける頃、ぼろぼろになったスノーバイクを引きずりつつぼろぼろになったゼフェルがホテル玄関に帰ってきた。
そうして部屋の騒ぎで目が覚めて起き上がって、どてらを着込んでぶるぶる震えながら玄関の外に出て待ってた(←ロビーで待てよ)ルヴァおとーさんと「酷い目に遭ったぜっもう雪山なんか、ぜってー、ぜーーーって〜〜っ来ねぇからな!」「まあまあゼフェル、そう言わずに〜」なんて会話を繰り広げてたりするわけだ。
ご飯も食べてお風呂も入って(オスカーがいい目を見たかどうかは秘密)、布団を敷いてさあ寝るか。
の、前に。
大部屋だとやっぱこうなるよな。
「…………それから………すこぉ〜しずつ…………ひたり………ひたり、と……だ〜れもいないはずの廊下から……足音のようなものがだな………」
暗闇の中に、ぬぼぉぉ〜〜〜〜〜、と浮き上がる黒髪の三白眼は、結構本気で恐い。いやあああ、げげげ、うううううと年少組は悲鳴を上げながら仔兎のようにぶるぶる震えている。
ちなみに懐中電灯は持参らしい。
「………ひたり……ひたり……足音はドアの前で止まった……………と思ったその時!」「きゃぁぁぁぁ」「ひっ」「うわぁぁぁぁ」
叫び声と泣き声が混じる。
気のせいだろうか、暗闇の中のジュリアス様が蒼ざめているように見えるのは。
と考えるオスカーの顔もけっこう蒼い。
オリヴィエは……まだまだ平気そうだ。地の守護聖なんかは「ふんふんそんなこともあるんですねぇ」とかぶつぶつ言いながら手帳になにやら書き付けている。
水の守護聖はとオスカーが見遣れば、にこにこ笑って隣のクラヴィスを見上げていた。
闇夜幸いに、がっくりと首を項垂れてしまう。
かくして、なんとかかんとか闇の守護聖の話を聴き終えた一同だった。が。
「……実はですね、今の話には……続きがありましてですね……」
意外にも、水の守護聖が闇の守護聖の話を継いだのだ(懐中電灯も渡してもらった)。
淡々と、むしろ穏やかなほどの語調で語られているはずのその話の進むうちに、今度は地の守護聖や海千山千の夢の守護聖までがみるみる間に蒼ざめていく。お子様たちなんか、もはや恐慌状態。……あ、ランディ、泡吹いて気絶してる。ってマルセルより先かい。
例に洩れず真っ青に血の気を引かせたオスカーも、改めて、嫌というほど、水の守護聖の底なしの恐さを思い知らされたのだった。
翌日。午前の部。相変わらず快晴のベストコンディション。
この日ばかりはランディもオリヴィエもスキーに履き替えている。オスカーはショートスキーのまんま。ゼフェルは本人曰く、「スノーバイクが壊れたからな、しゃあねぇ、付き合ってやるよ」だそうな。もう、素直じゃないんだから。
おお、素晴らしい、クラヴィス様までスキーを装着していらっしゃってる。
……さては光様命令(で仕方なく)か?
(以下、当時(昨晩夕食後)の会話を収録してみました)
「クラヴィス! そなた明日の団体スキーに参加せぬとはどういうことだ!」
「………煩わしいのだ…私のことには構うな……」
「そういうわけにはいかぬ! そなたはそもそも修学旅行をなんと心得ておる! 遊びではないのだ、団体行動とそれによる協力の精神を学ぶ場であるとあらかじめ通達しておいたであろう!」
「………知らぬな」
「(ぶちっ)クラヴィス! そなた私が精魂込めて作った修学旅行のしおりを読んでおらぬのか! 持っておるであろうっすぐにかばんから出すがよい!」
「………………………(仕方なく出した)」
「見よ! ちゃんと書いておるであろう!『修学旅行の目的:行動を共にし団体行動が円滑に進むよう相互が図ることによって、守護聖間の連携を強固たるものにし、同時に協力することの精神を学ぶこと』!『2日目:午前/団体スキー』!『おやつは300円まで』!」
「………バナナはおやつに入るのか…?」
「入らぬ! それも書いてある! そもそもそなたは……!(以下エンドレス)」
(回想シーンここまで)
ちなみに闇様のスキーウェアは漆黒の闇のように真っ黒だった。デザインも何も見えやしねぇ。というかそもそもスキーウェアなのかどうかもわからない。
なにはともあれ修学旅行でスキーと来たら、やっぱり一度はやらなくちゃね!
スキーでボーゲンで数珠繋ぎ滑り!(←ゲレンデの迷惑)
「馬鹿者っ! クラヴィス! そなた押すなと言っておるであろうが! やめろっ! 馬鹿者がっ!」
「……………五月蝿い……私は何もしていないぞ、ジュリアス…………」
「うわーっ俺スキーは初めてなんですよっちょっ待っ、わったったっむぎゅっ(←舌噛んだ)ったぁ〜〜〜〜っ」
「ランディ、ランディ慌てずに。膝を内側に倒して、スキーを内側に傾けて………ええそうです」
「…………………………(リュミエールの腰に手を廻してる状況が少し、いやかなり嬉しいらしい)」
「うわ〜っすごいすご〜い、うわ〜〜〜ぁ♪♪(←だいたい中央辺りはいちばん安定するので楽しむ余裕がある)」
「けっいっいちいち、さ、騒いでんじゃねぇよっと待てって引っ張るな! 引っ張るな! 引っ張るなっつってんだろぉ!」
「…………………………(オスカー辺りから漂ってくるうきうきオーラとお子様たち(+先頭の1名)のでかい声に呆れている)」
「あ〜〜〜〜オ〜リ〜ヴィ〜エ〜〜〜(←音声いつもの5割増で延びております)、あなたは〜やっぱり〜余裕ですね〜〜そ〜も〜そ〜も〜寒冷惑星の人々は〜文化的に〜いいいあああああああ〜〜れ〜〜〜〜〜(ずしゃぁぁぁぁぁ)」
あ、ルヴァ様とうとう脱落した。尻尾のほうはぶんぶん振られるからなぁ。ジェットコースターで最後尾がいちばん揺れが激しいのと同じ理屈だわな。
並びとしては悪くないと思うんだよ。初心者と上級者がわりと交互に並んでるし。
しかしねぇ。結局コース取りをするのは先頭であって。それがジュリ様じゃね。ちょっとね。
気が付けば真っ直ぐに向かう先は崖っぷち。その向こうは青いお空。
「やめろ! 止まれ! 止まらぬか!(←誰に言ってんだ)」「………」「うわあああああ」(欠番)(欠番)「いやあああああん」「うおおおお馬鹿ジュリ野郎っ」「あ〜あ知〜らない(←Now最後尾なのでいざとなれば自分だけ手を離せば余裕で止まれる)」
無常にも加速度的に近づくデッドポイント。ここまでかっ無念っとジュリアスが妙に古風な口調で覚悟を決めたその時!
目の前を遮る、疾風の赤い色彩!
…………………………
「…………オ……オスカー……う………感謝するぞ…………」
雪にまみれて折り重なった人間の山の中から、鼻を押さえてうめきながらも律儀に礼を言うジュリアス。どうやらぶつけてすごく痛いらしい。高い鼻もこんな時には考えものだ。
「…………い…………いえ………お役に立てて幸いです……………」
こっちは倒れた時に頭を打ったらしいオスカー。やっぱりすごく痛そう。
周囲には累々と人と雪の塊が積み重なり、そこここから文句と悲鳴が上がっている。
あ、オリヴィエも巻き込まれてる。逃げ損なったか?
「〜〜〜〜っもぉ〜〜〜ヒドイッ! せっかくのメイクがっトータルコーディネートが台無しだわよ!」
顔面突っ伏してた新雪からがばっと上半身を起こして叫ぶオリヴィエ。化粧の中途半端に取れたその顔がどうなってたかは……本人の名誉のためにあえて言わない。
の、オリヴィエの前に、すっと差し出された白い手。
「大丈夫ですか?、オリヴィエ。立てますか?」
見上げたそこには、太陽を背負った純白のウェアの水の麗人。乱れたところはひとつもない。
思わず沈黙するオリヴィエだった。
そしてそんな一連の遣り取りを、遠目に見るオスカー。
「……でも、オスカー様、本当にありがとうございます」
ランディのその台詞ではたと我に返る。
「うん、すごいよね、オスカー様すごいスピードだったもん」
「ああ、ぜってー間に合わねぇって思ったのに」
やんややんやと年少組から囲まれて賞賛されるオスカー。
「あ、ああ……いや、それほどでも……」
オスカーは曖昧に言葉を濁した。
危ないと思って咄嗟にリュミエールから手を離しマルセルを振りほどいて列から出て前に出ようとして、それでも間に合わないかと思ったけれど。
水の守護聖の横を擦れ違ったその瞬間、指先の細い感触の手で思い切り背中を押されて加速をつけられたとゆー事実は結局言えないままのオスカーだった。
ランチを済ませ、午後は各自のフリー滑走に戻った。
途中急に霧が立ち込めたりして、その間になんだかかんだかあったりなかったりした人はあったりなかったりしたようだが(「山と霧と貴方」参照)、その霧も晴れてしまえば何事も無かったように時は平常に戻る。
ぐるぐる回る思考を抱え込んでしまったオスカーは、結局明日のために一人で滑走に専念することにしたようだった。
明日。
オスカーにとっての、もう何度目になるかわからない挑戦がまた巡ってくるのだ。
が。
とりあえず本日は平穏無事に(平穏無事に?)日は暮れていったとさ。
「この馬鹿ランディ野郎っ! てめぇなんぞに負けたりしねーよ!」
「何だと、ゼフェル!?」
「もー2人ともやめてよ!」
とか言いつつ自分も一緒になって嬉しそうに投げてたら、説得力ないよ、マルセル。
やめぬかっそなたらっとか言いながら青筋立てるジュリアスの言葉など、もはや誰も聞いちゃいねぇ。あ。……お見事、顔面にクリーンヒット。枕が。
ずるずると床に崩れこむジュリの隣ではクラヴィスが「………………ふっ………」とか言ってる。何故かこの枕の嵐の中でも、全ての弾はくらびー避けて通ってるのだ。摩訶不思議。
大部屋の中には既に布団であちこちにバリケードが築かれつつある。先にお休みしていたルヴァ様の掛け布団までとうとう剥がされてしまった。
頭上を飛び交う枕にも気付かず眠ったまま「へくちっ」と可愛らしいくしゃみをした、その地様の顔面を通りすがりに思い切り踏んづけてしまったのは、さあ、誰でしょう。
「……………………」
大浴場から帰ってきたオスカーの目に入った、室内のその惨状に(ちなみにオリヴィエはまだ入浴中)、オスカーは数瞬、言葉を無くした。
水色の想い人の姿を探せば、押入れの襖の前ににこにこして立っている。
「止めなかったのか?」
近寄って、別に嫌味でなく訊いた。争いごとを嫌うこの人にしては、その放置っぷりが珍しかったので。
「やっぱり、修学旅行、ですから。」
「……なるほどな」
修学旅行の枕投げ、一度はやってみたいこと。
思い出は、多いほうがいい。
「それにしてもお前、なんでこんなところに立ってるんだ?」
避けるんならもっと端のほうとかあるだろうに、と思ったオスカーに、
「それはですね、」
と微笑みかけながら答える水の守護聖が、すっ、と手を伸ばした。
びゃっ!と物凄い勢いで襖に向かって飛んできた枕が、ばしっ!と白い手の先で微動だにせず受け止められる。
「壁ならいいですけど、襖は破れてしまいますから」
ぽいっ、と飛んできた方向に枕を投げ返しながら、にこにこ笑うリュミエール。ふわふわと数歩歩いて伸ばされた手に、再びばしっ!と枕が遮られる。ぽいっと返却。
ふわふわ、びゅっ、ばしっ、ぽいっ。
ふわふわ、びゅっ、ばしっ、ぽいっ。
お子様たちは熱中しすぎて一向に気付かず、何故か手元に返ってくる枕を手当たり次第に掴んでは投げ合っている。
「なんで返すんだ」
「弾は多いほうが楽しいです」
「それはそうだが」
思わず頭を抱えそうになったオスカーだった。
オスカーも枕投げくらいやったことあるので、そのくらいは知っているが。
この水の麗人が考えることは、判るようで判らない。流れゆく水のように、掴みどころがない。
今日の昼の出来事にしたって……そうだ。
「………なあ、リュミエール」
「はい?」
「………今日の」
今日の昼の、あれは何だったのかと。俺はどう受け止めればいいのかと。
言いかけたオスカーに、リュミエールは軽く目を開いた。
「あ、オスカー、危ないですよ」
「え?」
次の瞬間、緋色の側頭部に激突する緋色の林檎。油断していたオスカーの首がぐぎがっと折れ曲がる。
いったい次は何を投げ始めているのだ、子供たちよ。