■ とけあう恋

 薄く紅をひいたような色みを帯びた白い脚が、オスカーの目の前で、長い裾を持つ純白の服に覆われている。

 オスカーはゆっくりと身をかがめて右手で僅かにその裾をからげ、左手をリュミエールの右の足首に添えて軽く力を込め、露にした内側のくるぶしの上へ、もう幾度目になるかわからない口づけを落とした。

「……本当に綺麗だな」

 優雅な下腿のラインをオスカーの指が辿って布地の下へ忍び込み、膝の裏の窪みへと回って膝を立てさせようとすると、一瞬浮いた服の下の白い脚はオスカーの手の動きを遮るように傾き倒れた。

「恥ずかしいか?」

 仕方なく脚から手を離し、両腕を添えて上半身を起こさせ軽く抱き締めると、素直にオスカーに身を任せて凭れ掛かる、その柔らかな躯が愛おしい。

 そのままオスカーは、リュミエールの躯を横抱きに抱え込むようにして腕の中へ収めた。オスカーの脚の上へ乗り上げる形になったリュミエールの両脚の、覆う裾を膝までたくし上げてから、オスカーの指が白い脚を行き来して愛撫する。

 リュミエールはされるがままに、逆らわなかった。

 

 愛しくて。

 ただ愛おしくて仕方がない。

 

 心の底から込み上げるような高い温度を持った想いのままに、オスカーはリュミエールの躯を力の限りに抱き締め、艶やかな青銀の髪の上に強く唇を押し当てた。

 甘い香りが辺りに漂う。

 痛いほどに抱き竦められても、文句ひとつ言わない水の守護聖にオスカーの想いは一層つのる。

 流石に少し可哀想になって、オスカーは腕の力を少し緩めた。安堵したようにリュミエールの躯が僅かに傾いで、炎の守護聖の片腕にその身を任せる。

 さらさらと自分の腕の上へ流れ落ちた青銀の髪の流れの上へ、オスカーのもう片手が伸びてきて優しく撫ぜた。

 

「なぁ、俺たち、喧嘩ばかりしていたよな……」

 

 今となっては古い過去を思い出したのか、炎の守護聖がくつくつと小さく笑った。オスカーの腕の中のリュミエールの、その表情は僅かな微笑を湛えたまま変わらない。

 

「あの日も……そう、お前が出る前に一騒動やらかしてさ」

 

 水の守護聖が聖地の時間で1週間、視察に出ることになっていたその出発日、早朝から始まった水の守護聖と炎の守護聖の論争は、結局視察団一行の出立の時間まで延々と続けられていたのだった。

 憤然とした表情のオスカーと、少し哀しげな表情を見せるリュミエールとの間で、シャトルの扉は閉じられた。

 

「でも多分、俺はお前がずっと好きだった。」

 

 事あるごとに反発した心は、どうしようもなく惹かれていく綺麗な人への心の裏返しで。

 口を突いて出る刺々しい言葉は、伝えたくて伝えられない押さえきれない想いを綴る言葉と同等で。

 

「……好きだ」

 

 だから今は、惜しげも無く何度も、何度も繰り返し繰り返して想いを告げる。

 

「愛しているよ。」

 

 白くて細い脚の一方をオスカーは手に取り、少し持ち上げて頬を摺り寄せた。

 炎の守護聖の、その少し高めの体温に、ひんやりとしたさらさらの肌の感触が心地良かった。

 

「愛している。……永遠に」

 

 炎の守護聖の言葉は、固い金属の壁に当たり跳ね返って、暗く閉ざされた冷たい部屋の中に木霊した。

 

 

 

 ……本当は。

 哀しげな色を湛えた瞳など、……それも甚だ綺麗な表情ではあったのだけれど。

 そんなものが見たいわけではなかったのだ。

 ほんの時折目にしていた、春の陽の光を一身に浴びたような暖かい微笑を、ずっとずっと……いつもどんな時も、見せていてほしかったのだ。

 ……俺がそんな微笑を与えてやって、与えられて、そして何時までも護っていきたかったのだ。

 

 ……帰ってきたら。

 あいつが帰ってきたら、今度こそは間違うまいと。もう二度と哀しい表情はさせまいと。

 この胸の奥から込み上げる、熱く迸る想いを……愛していると、そう告げようと。

 

 

 そう決めて、水の守護聖が帰ってきた時に、想いと共に手渡すはずの贈り物を選んでいた時、報せは炎の守護聖のもとへ伝えられた。

 オスカーの手の中から滑り落ちた硝子細工は、地に落ちて粉々に砕けた。

 

 

 

 女王府に対して反乱を起こしたその組織は、その規模も活動もとてもささやかなもので……怒りに猛り狂った炎の守護聖に、それこそ蜘蛛の子を散らすようにあっさりと壊滅されたのだけれども。

 それでも、シャトルに修復不可能な損傷を与えるには、充分だったのだ。

 

 

 オスカーはリュミエールの両瞼を開いた。

 瞳の深海の色は、白い霞みの向こうにあって判然としない。

「……可哀想に。これではよく見えないだろう」

 オスカーの舌がリュミエールの霞んだ目をぺろりと舐めた。

 幾度となく繰り返された行為は、濁った角膜をすり切れさせ、再び深い海の瞳の色を露にさせ始めていた。

 炎の守護聖の手が、ひとりでには閉じない水の守護聖の瞼を優しく下ろした。

 

 

 

 空気の注入されたシャトルのこの冷たい金属の部屋の中で発見されたのは、折れ重なるように倒れていた幾人かの随行員と、眠るように静かに横たわった、純白の衣装の水の守護聖。

 その白い躯の前に膝を突いて、俯いたまま動かない、救援隊に先発した炎の守護聖の姿――その掌は、水の守護聖の裾のたくし上げられた右の大腿の内側に置かれたままで止まっていた。

 

 どこか離れた場所の、しかし換気の繋がった所で火災が起こったのか……亡くなった随行員の死因所見から、水の守護聖のそれも一酸化炭素中毒と推定された。仄かな紅みを残す身体。

 リュミエール本人の所見は取れなかった。炎の守護聖がその躯を手放そうとしなかったので。

 

 

 

 仕方なしに丸ごと回収された半壊状態のシャトルは、今は聖地の片隅にひっそりと置かれている。

 

 

 

 オスカーは再びリュミエールの脚に指を這わせ始めた。

 膝から上へとあがっていく指は、何度も繰り返された道筋を通ってなめらかな曲線をゆっくり辿り、やがて右脚の、付け根に近いその内側で止まった。

 

 

 

 急いで退避して隔壁を閉じ……それでも逃れようの無い運命をまざまざと突きつけられたこの部屋には、冷たい壁と床しかなく。

 伝えなければならないことを書き残す紙も筆記用具も、何も無かったのだ。

 

 水の守護聖の手元にあったのは、常に持ち歩いていた小さな懐剣だけで。

 争いには最後まで役に立たなかったそれを、水の守護聖は別の手段に使った。

 

 何者であったかもわからなかったであろう敵方に先に発見されることを恐れてか、ゆったりとした袖の中に隠されていた白い左腕には、聖地に残した人々への連絡事項が血の滲んだ鋭い掻き傷でびっしりと刻まれていた。

 

 

 

 ……なあ、リュミエール。

 なんだか皆、揃って、泣いて泣いて……オリヴィエなんか、俺たちの足元で壊れるかと思うほどに大泣きしてたよな。

 馬鹿だよな……泣かなければならないような事なんて、何も無いのに。

 

 

 オスカーの手が、右の脚、その付け根にほど近い内側を愛おしげに何度も撫で擦る。

 それから、節の目立つ指がそこに並んでいる赤い文字をゆっくり辿った。

 

 

 

 逼塞した状況の中、咄嗟に取った行動は、伝えたかったのか……それとも知られたくなかったのか。

 半ば隠されたような位置に残された、文字の列。

 

 

『オスカーへ――愛していました』

 

 

 オスカーの視線は、白い肌に刻まれたその文字をしばらく見詰め続けた後、静かに伏せられた。

 祈りを捧げるように、身を屈めてその文字に唇を寄せる。

 

 

「……俺も、愛しているよ――リュミエール。」

 

 

 

 口の中に滲む、もう僅かになってしまった血の味は、錆びた鉄の味。

 そして漂う血の匂いは、仄かに甘い。

 

 

 

 ゆっくり横たえた水の守護聖の……「元」水の守護聖になってしまったその躯の上へ、オスカーは覆い被さった。

 燃え尽きる直前の、炎の守護聖の普段より高い体温が、冷たい床の上に横たわった躯を温める。

 

 

「ひとつに溶け合おう。……もう、二度と離れたりしないから。」

 

 

 意識は、先に逝ってしまったひとと同じところへ行って。

 残された物は、どちらがどちらともわからないほどに重なり溶け合って。

 過去も未来もなく。

 ただ、愛しているから。

 

 

「……愛しているよ。」

 

 

 一切のものを遮断する扉は、もう二度と開かれることはない。

 

 

 

 そうして消えてゆくサクリアの気配と、新たな守護聖の出現とが。

 炎の守護聖の最後の望みが叶った事を、静かに外へと伝えるだろう。