■ 剣とハープと貴方

 オスカーは不機嫌だった。

 今日は日の曜日。いつもどおり朝っぱらから無駄に元気なランディが「オスカー様、覚悟っ!」とかなんとか言いながら襲ってきた。

 ランディに襲い掛かられても全然嬉しくない。どうせ襲い掛かられるなら――。

 変な方向に走り始めた自分の考えをぷるぷると振り落とす。

 とにかく機嫌が悪かった。少しずつは成長しているのだろうが、それでもとうてい自分の本気すら出せない風の守護聖にひどく手厳しく指導してしまうくらいに。

「早く俺とまともに勝負できるくらいになるんだな」

 そう言い捨てて、座り込む風の守護聖を尻目に早々に私邸を出てきてしまった。珍しく徒歩で宮殿に向かいながら、道々会う警備兵たちに剣の相手を申し込んだが、彼らは一様に恐縮して、辞退の言葉と共に頭を下げるばかりで。

 それはそうだろう。当然のことと思いながら、それでも悪くなる一方の機嫌を抑えられない。

 はっきり言って、オスカーは強い。剣技でまともに渡り合える相手など、この聖地の何処にもいない。必然的に、オスカーの練習相手になる相手は――オスカーの剣技を上達させられる手合わせは何処にも望めないのだった。

 いや、「ただ一人」を除いて。

 その「ただ一人」が問題なのだが。

 とにかく昔のオスカーなら誰が相手になってもなれなくてもそれで良かったのだろうが、今は状況が違う。なんとしてでも、もっともっとずっとずっと強くなって、あいつに勝たなければならない。

 そんなことを考えていたら、いつの間にか宮殿に着いていた。

 とたんに目に入る水色の姿。いつものように、右手にハープを抱えて。宮殿の廊下ではなく脇の芝生の小道を歩いている。

 あの道なら王立研究院からの帰りか、休日まで仕事かご苦労なことだな、とかわりとどうでもいいことを、オスカーは頭の片隅で考えながら。

 周りに人がいないことを確認すると、おもむろに左腰の剣を抜き放ち、アイスブルーの瞳に強い光を煌かせて、その方向へ駆け出した。

 水の麗人は気づいてこちらを見、軽くため息をついた――ように見えた。

 

 ギィン!

 

 高らかな剣戟の音が響き渡る。

 リュミエールに向けられたオスカーの一閃は、いつの間にかリュミエールの左手に握られていた懐剣の短刃にあっさりと受け流されていた。続いて2回、3回とオスカーが剣を振るう。それを右へ左へとリュミエールが短剣で受け流す。

「貴方も、懲、り、な、い、人ですね」

 ギン、ギン、ギン、ギン、と響く剣戟を挟むようにして、あきれた表情で(その表情が思いっきり余裕しゃくしゃくで一層オスカーを苛立たせたのだが、)リュミエールが話す。オスカーは無言で剣を振るい続けた。というか、オスカーの方は次々繰り出さざるを得ない剣閃に必死で、返事をする余裕もない。

 くっそ〜〜〜〜〜〜!!!!

 オスカーの胸に悔しさが込み上げる。

 オスカーが剣技でただ一人敵わない相手、それがこの、一般にはとろくて運動神経皆無と周囲から思いっっっっっっきり思われている水の守護聖だった。オスカーもとある出来事がきっかけでこの秘められた水の守護聖の真実に気がついてなければ、今でもやっぱり数少ない宇宙の不変の真理のように当然の如く当たり前すぎる事実としてそう思っていただろう。

「だいたい、真剣での、手合わせは、大変、危ないと、わたくしはいつも言って、いますのに」

 オスカーの剣をかわし受け流し、時には(信じられないが)押し返す動作の合間合間に、リュミエールが端正な唇と天上の響きを持つ声でそう言葉を紡ぐ。

「お前がっ、普通に手合わせを申し込んでもっ、受けて立とうとしないからだっ!」

 オスカーは苛立ちを混じらせてそう叫ぶと、大きく踏み込んで剣を繰り出した。

「当たり前です」

 綺麗な言葉がそう聞こえた。

 リュミエールの手から、ハープが天高く投げ上げられた。

 

 ふわり

 と、水色の姿が浮いた、と思った。

 

 胸元を狙ったオスカーの一閃は、リュミエールの白いサンダルの、「下」を通り過ぎていた。

 

 見上げた空には、短剣の柄を両手で握った水色の姿と、長い髪。

 

「わたくしは、争い事が嫌いなのです」

 

 ごいんっっっ!!!

 と、次の瞬間オスカーの後頭部に沈んだ激痛。言葉にならない叫びが上がる。

 間を置いて、すぐ近くで水の守護聖の着地する軽い音。

 リュミエールに短剣の柄で思いっきり殴られたのだと気づくまで、しばらく時間がかかった。

 思わずしゃがみこんだオスカーが見上げたリュミエールの右腕に、すとん、と空から落ちてきたハープが収まる。

「背中の隙が甘いと、何度言ったらわかっていただけるのでしょうか?」

 左手の懐剣をローブの隙間に納めながら、ため息のようにリュミエールがそう言った。

 オスカーの背中が隙だらけに見える人間など、宇宙中探してもリュミエールしかいない。

 だんだんと腫れ上がってずきずき痛む頭を抱え込み、全然威厳のない姿で、オスカーはそれでも有りっ丈の力を込めてリュミエールを睨み上げた。リュミエールはその視線を平然と受け流す。

 オスカーが何度挑戦しても、いまだ一度たりと勝てたことのない相手、それがこのリュミエールだった。しかしなんとしてでも、絶対にこいつには勝たなければならないのだ。なぜならば――

「リュミエール」

 最悪のタイミングで聞こえてくる陰気度263%の声。オスカーはいっそう頭の痛みが増したように感じて再び頭を抱えこんだ。

「クラヴィス様」

 リュミエール、お前いつも、そんな語尾にハートをつけたような声で、ああ、そんな嬉しそうにそいつの名前を呼ぶな!

 何故あの声は俺に向けられないのだろう、なんとなくオスカーは泣きたくなった。

 そう、見かけに全然似合わず恐ろしく腕の立つリュミエール、そのリュミエールにいつもオスカーが絡むのは嫌いだからじゃない、いやむしろその逆で。

 いつか絶対こいつを負かして。初めての経験に気落ちするリュミエールを優しく慰めて、そしてそれから、俺は胸を張って何年間と重ねてきた自分の思いを告白する。

 オスカーの胸の中で密かに練られている計画がそれだった。

 ひとつ計画に根本的な間違いがあったとすれば、いつになったらリュミエールに勝てるのか未だにお先真っ暗な状況だということだろうか。

 そんなオスカーの目の前で、嬉しそうに闇の守護聖にてちてちと駆け寄るリュミエール。

 オスカーの氷点下のアイスブルーの視線を真っ向から受け止めるクラヴィスの、その唇の端が皮肉っぽく吊りあがっているように見えるのは、たぶんオスカーの気のせいではない。

 聖地の誰にも目撃されたことのない水と炎の手合わせだが、闇の守護聖だけはしばしば場に居合わせる。まるで見計らったように。

「クラヴィス様からも、オスカーに一言仰っていただけませんでしょうか……私はいつも、このような争いは嫌だと申しておりますのに……」

「勝手にやらせておけ」

 ……オスカーは、ようやく、その時に気がついた。

 闇の守護聖の声音は、この上もなく楽しげだ。

 眉根を寄せたオスカーに、クラヴィスは再び視線を向けて。

 

 悪魔もかくやと思うほどの、最高に上機嫌そうな冷笑を唇の端に浮かべて。

『ふふんっっっっっ』

 と、思いっきり鼻で笑ったのだった。

 

 ―――――っっ絶対こいつ俺の目的を知ってやがるっっっっ!!!

『私の可愛いリュミエールが欲しければ正々堂々と、この子に勝てるものなら勝ってみろ』

 濃い紫の目がありありとそう語っている。闇パパも節操なし狼のオスカーに虎視眈々と狙われている自分の愛娘(?)が宇宙最強とあれば、自身は何をせずともさぞや安心してだらだらと心楽しく傍観していられることだろう。

「では、リュミエール、約束通り私の部屋でハープを聴かせてもらえぬか」

「はい♪」

 軽やかに答えるリュミエール。2人揃って歩き出す。オスカーはまだ痛む頭を抱えながら忌々しげにそれを見送る事しか出来ない。

 ふと、水の麗人が振り返った。

「ああ、オスカー、頭のコブはどなたかにきちんと手当てをしていただいた方がよろしいと思いますよ。……それでは、ごきげんよう」

 クラヴィスは振り返ってもう一度オスカーに氷の冷笑を浴びせると、もはやすでにクラヴィスの方をしか見てないリュミエールを引き連れ、2人して宮殿の奥へ消えていった。

 ―――――っ、俺なんか、俺なんか――――

『演奏前のチューニングも聞かせてもらったことないってのに〜〜〜〜〜〜っ!』

 情けない叫び声は、かろうじて胸の中だけに留めておいた。

 

 オスカーの受難は、まだまだ続きそうだった。

 

 


■ 一般的ではないけれど私の中で確固たる地位を築く、「なんでも出来るパーフェクトリュミ様」シリーズ第1段です。リュミ様ってとろい、弱い、不器用3拍子ってのをよく見かけるんで、リュミ様像に「最強」の妄想を抱くのーみそでこんなシリーズ作ってみました。
あ、クラヴィス様はあくまでも闇パパです、たとえどんなにリュミちゃんが懐いていても。