「なんだ、珍しいやつがいるな」
心から意外そうにオスカーの言葉が出る。
ここは水の守護聖の執務室のテラス。オスカーがたまたま通りかかったそこに、感性の教官セイランの姿があるのは確かに珍しいだろう。
強すぎず弱すぎない風が常に吹いている、暖かで涼やかな午後だった。木陰とそこから漏れる日差しのバランスが気持ちいい。
「まあ、ちょっとした方針の変換ってとこですよ」
片手に持ったハーブティーのカップを軽く上げてセイランが応じた。
普段から皮肉っぽく見える彼の笑みは今、めずらしく非常に機嫌のいい彼の気分を表している。セイランと仲のいいオスカーはそれを目敏く察した。
意外だった。セイランは確かオスカー同様、優しさを司る水の守護聖リュミエールを嫌っていたはずだ。
「オスカー、あなたもいかがですか?」
同じテーブルについていたリュミエールが、茶会への参加を勧める言葉を口にする。え〜、こんなやつ、と彼の隣にいたオリヴィエがショールをひらひらさせながら嫌そうな声を上げた。もっとも、目はもちろん笑っている。
「何か文句でもあるのか」
どうやら3人で茶会の途中だったようだ。オリヴィエへの嫌味返し半分で、わざわざ彼の隣の椅子にどかっと音を立てて座る。
「コーヒーかカプチーノを淹れましょうか?」
優雅に椅子から立ち上がりながら、誰もが見とれる綺麗な笑顔でリュミエールがそう尋ねる。その表情も対応も、相性の合わない筈のオスカーに向けられる時でさえ、常に静かで穏やかで優しい。
つい今朝方も、会議でオスカーと意見が衝突したばかりなのに。
「いや、同じものでいい」
密かに苦笑しながらオスカーは返事をした。
ではしばらくお待ちくださいね、と微笑んでローブを靡かせ、奥に消えたリュミエールをぼんやりと見送る。
「まったく、お人形のように綺麗な人ですよね」
唐突にオスカーの向かいから、セイランの皮肉げな声が聞こえた。彼の視線もリュミエールの消えた先に向いている。
「全くだ」
とても穏やかといえるものではないセイランの発言に、オスカーがそう応じた。いつも自分が言っているのと同じ言葉に、なぜか微かな苛立ちを覚えながら。
「ちょっとアンタたち、いつもだけどさ、そういう言い方止めなさいよ」
眉根を寄せて、今度は本当に嫌そうにオリヴィエが言う。全くだ、と無意識にオスカーは胸の中で一人ごち、それからそんな自分に意外さを感じた。
セイランはといえば、そんな2人の雰囲気を全く気に留める様子もなく、独り言のように言葉を続ける。
「ああ見えてあれだけの激情家なんだから、大したものですよね」
――――は?
げきじょうか?
オスカーもオリヴィエも、とっさにその単語の漢字変換ができず、顔に「?」マークを浮かべる。
それからようやく、揃って目を丸くした。
「激情家? リュミエールがか? いったい何を―――」
言っているのか、と続けようとしたオスカーの発言は、セイランの声に遮られた。
「今でも瞼の裏に焼きついてますよ……挑みかかるような瞳。」
挑みかかるような瞳?
聞き手の2人は狐につままれたように、発言された単語を反芻することしかできない。
「夜の仄かな明かりの中でしなやかに躍動する肢体……思い出すだけでゾクゾクしますよ」
話すセイランの目は遥か遠くを見ている。目の前の風景も呆然とした他の2人の様子も、一向に視界に入っていない。
「思わず手を出してしまいました」
かくん、とオリヴィエの顎が落ちた。
「僕の腕の中で伸び上がって、仄かに汗を滲ませて、思い切り背を反らせるあの人は、それはもう、最高でしたよ」
オスカーの顔が強張っていた。当の本人も他の2人も気がついてはないが。
「結局そのまま、新たに発見したお互いの意外な所を交わし合って朝まで過ごしてしまいました」
遠くを見たまま、ほう、と陶然とした溜息をついて、セイランがそう言葉を結んだ。
――――茫然自失、約2名。
「―――どうかしたのですか?」
唐突にかけられた(と彼らには思われた)穏やかで優しげな声に、思い切り慌てふためくその2名。
銀のトレイを持って戻ってきた水色の麗人は、顔に「?」の表情を浮かべたまま、トレイに乗せていたオスカーのためのハーブティーを彼の前に並べている。
「この間の夜のことをおふたりに話してたんですよ。リュミエール様」
眩しそうに目を細めながら、嬉しげにセイランはそう答えた。
ハーブティーのカップを置いて戻りかけたリュミエールの白い手の動きが止まる。
「セイラン……」
全員の視線が集中する中で、その頬が、うっすらと朱の色に染まった。
「あの事は、2人だけの秘密だと言いましたのに……」
「―――――リュミエールッ!!」
ガタンッ、と音を立ててオスカーが立ち上がった。
テーブルが揺れる。倒れそうになるカップを慌ててオリヴィエが押さえた。
驚いた表情のリュミエールの細い手首をオスカーが乱暴に掴む。
「お前、一体どういう――――」
そこまで言って、胸を締め上げられるような表現しようのない自分の内のやりきれなさに口をつぐむ。
何故、俺はこんなことをしてるんだ――――
「あの……、オスカー………」
睨み付けるような形相のまま、無言になったオスカーの前で、リュミエールは戸惑ったような、申し訳なさそうな表情でゆっくりと目を伏せた。
「やはり……、舞踊、などというものは、あなたのお気に触りましたか………?」
「……………………は?」
――――舞踊?
沈黙の海に沈んだ4人の上を、天使の大群が通り過ぎた。
「―――――ああ」
いちばん最初に我に返ったセイランは、自分の言葉が聞き手の2人に与えた誤解の意味を察したらしい。
っくっくっくっく、と小さく咽喉を鳴らす。そのうち声を上げて笑い始めた。彼には珍しい。
「もう、セイラン、笑い事ではありませんよ」
あれほど内密にとお願いしましたのに、とやや機嫌が悪そうにリュミエールが言葉を継ぐ。手首はオスカーに掴まれたままだ。
「舞踊?」
「そう、舞踊。舞踏。踊り。ダンス。」
間の抜けたオスカーの呟きに、セイランがしつこく単語とアクセントを重ねて冷笑交じりに答える。
聞けばセイランが、たまたま夜の散歩で通りかかったリュミエールの私邸近くで、たまたまその日に限って、たまたま満月に近い月光に魅かれ、たまたま庭に面したサンルームで踊っていた水の守護聖を見かけ、そのまま舞踏鑑賞と芸術談議に花を咲かせて、気がつけば朝になっていた、ということらしい。
「まさかこの聖地で、まさかこの方の『春の祭典』が見られるとは思いもよりませんでしたからね。ただただお綺麗で毒にも薬にもならないような生温いものだけを芸術と称して弄んでる人かと思ってましたから」
単語の選び方は守護聖に対して冒涜と呼べるほどに酷いが、内容的にはセイランにとって最高級の賛辞だとその場の人間には理解できた。リュミエールはそんなセイランににこにこと微笑んでいる。
「もっと高く跳ぶ所が見たくて、思わずサポートの手が伸びたんですよ」
「女性舞踊手の跳躍やらポーズやらを男性舞踏手が支えるような、あれ?」
さすがに美を司る夢の守護聖は踊りに関する知識も多少持ち合わせているらしい。セイランは頷いた。
「この方の身体を支えながら、踊りを間近で見ながらますます確信したんですよ。ああこの人はとんでもなく感情の豊かで激しい人なんだってね。瞳に宿る強い光も踊りから滲み出る激情も、お綺麗なだけの人形には絶対に到達しえない境地でしたよ」
彼一流の手放しの賛辞である。
「誉めすぎですよ、セイラン」
頬を染めたまま静かに抗議するリュミエール。オスカーとオリヴィエはあっけにとられたまま、セイランの発言した内容を飲み込むのに必死だった。
――リュミエールが、舞踊? おまけに激情家で、とんでもなく感情の豊かで激しい人?
水の守護聖と付き合いの長い、と思っていた2人にとって、セイランの明かした事実はあまりに意外で突拍子だった。
「ちょっと待て。どうしてそれが2人だけの秘密になるんだ」
炎の守護聖の口調は無駄に荒い。もちろん自分の勘違いに対する気恥ずかしさを隠したいがためである。
「その態勢でそういう台詞を言いますかね?」
セイランがにや、と唇の端を吊り上げて笑った。
そこでようやく、オスカーは自分がリュミエールの白い手首を強く掴んだままであることに気がついた。
振りほどくようにして慌てて離す。
色素の薄いリュミエールの手首にはくっきりと赤い痕が残っていた。下手すればそのまま痣になりそうだ。
「申し訳ありませんでした、オスカー……きっとあなたは芸術や舞踊といったものがお嫌いだろうと思いまして……」
そんな自分の被害を気に留める様子もなく、少し伏せ目がちにして心から申し訳なさそうに水の守護聖が謝る。
「そんなことは女性のやるものだ、と、………ですから、なるべくお耳に入らないようにしていたのですが………」
「違う。単なる誤解だ」
オスカーは慌てて否定しながら、何故自分がこんなに慌てなければならないのかと内心舌打ちしたい気分だった。
「ホンットに、ナニと間違えたのかしらね〜〜☆」
彼よりいち早く調子を取り戻したらしい夢の守護聖がけらけらと笑う。うるさいお前も間違えたくせに、の意を込めて炎の守護聖は思い切り凄みのある表情で彼を睨み付けた。うへぇ、とオリヴィエが首を竦める。
「それに、他の方にお見せするほどのものではありませんから」
「とんでもない」
リュミエールの謙遜の言葉をセイランが即座に否定する。
「この僕が保証するけど、貴方のその心から迸る芸術は宇宙中に片手の指あるかないかというレベルだ。それを誰にも見せないまま埋もれさせておくなんて、守護聖うんぬん以前に芸術と宇宙に対する冒涜だよ」
リュミエールをむしろ責めるかのような口調のセイランに、リュミエールは少し困ったように首を傾げた。
「貴方達も貴方達だよ。」
くるっ、と唐突にセイランはオスカーとオリヴィエの方へ向き直った。宇宙を支える守護聖2人ともあろうものが、セイランのその勢いに気圧されてなんとなく身を引く。
「いったいリュミエール様と何年付き合ってるわけ? その間、いったいこの人の何を見てきたの? 誰かが気づいていれば今の今まで長々と最高級の芸術を世に出さないまま無為に過ごしたりしなくて済んだのに。中堅組なんて呼ばれてても所詮はそんなものなんだね」
「セイラン」
感性の教官の過激すぎる舌を留めようと、リュミエールが控えめに彼を呼ぶ。
だがセイランにそこまで言われては、さすがに炎の守護聖も夢の守護聖も面白くない気分になった。
「なら、その最高級の芸術とやらを是非見せてもらおうか」
オスカーのその言葉に、水の守護聖が目を瞬かせる。
自分達がそこまでけなされるほど、価値のあるものかどうか、確かめてやろうじゃないか。
女性の美しさにならともかく、芸術など一向に感心のないオスカーにとって、男の踊る舞踊などに自分がそれほどの価値を見出せるとはとても思えなかった。
「ああ、それがいい、リュミエール様。貴方のすばらしさは僕がどれほど口で語っても語り尽くせないからね」
「そーだわよね、リュミちゃん私も見てみたいわ、オネガイ☆」
セイランにそそのかされ、オリヴィエにマニキュアを綺麗に施した手を合わされウインクと共に要望されて、リュミエールは困惑の表情を隠せない。
「1フレーズでいいからさ」
セイランに重ねてそう言われ、乗り気でなさげながら、それでもようやく決心がついたらしい。
「では、少しだけ……」
水の守護聖ははにかんだように微笑みながら緩やかに立ち上がって、テーブルから少し離れた所へ歩きながら、肩に掛けていた薄布を滑り落とさせ両手で持った。
「音楽はないのか?」
オスカーが疑問を口にする。
「要りませんよ。そんなもの」
自信満々、がそのまま音声になったような口調でセイランが答えた。
3人の視線がリュミエールへ集中する。
水の守護聖は3人に向かって、もう一度だけ困ったような微笑を見せた。
それから、ゆっくりと目を伏せ、深海色の瞳を閉じた。
風の吹き始めのように、白い手が舞い始めた。
リュミエールの動きに合わせて、薄布が風を孕む。
深海の瞳が、開いた。
世界の色が――――変わったような気がした。
緩やかに、身体の、手の、薄布の動きが納まる。
1回転。
たった一回りしただけ。
オスカーは硬直したように息をするのも忘れていた。
自分が今見たものが――――信じられなかった。
なんで手の流れから音楽が聞こえるんだ?
どうして背後に宇宙の深遠が見えたんだ?
なんで生命の鼓動のリズムを感じるんだ?
それに――――
一瞬だけオスカーの方へ流れた、リュミエールの眼光。
強さを司る炎の守護聖を射すくめた、強い瞳の閃き――――――
今のは、いったい――――
「―――――――――――っすっごぉぉぉいリュミちゃん!!」
夢の守護聖の、ほとんど叫びともいえるようなその声で、オスカーはようやく現実へ引き戻された。
「すごいすごいすごいリュミちゃん、あんなの初めて見た!いやっもぉ嘘ぉ、なんで今まで隠してたの信じらんない、きゃ〜〜〜っ!!」
「ありがとうございます、オリヴィエ」
大興奮状態でリュミエールの手を握り締めぶんぶんと振るオリヴィエに、薄く頬を染めながら礼を返すリュミエール。だから言ったでしょう、と言いたげなセイランの満足した顔つき。
オスカーは何か言おうとして口を開いたが、何も言えなかった。
「まだ飲み込めてないって表情ですね、オスカー様」
自分に言葉を掛けてきたセイランの方を見る。彼の皮肉げな表情は、今この時いっそうの凄みがあるように見えた。
「理解しようと努力する必要はないんですよ。ただ感じればいいんだ。あなたのようにいつもいつも理性とその判断だけに基づいて行動するような人は、何時の間にかそういう感性の部分を全く無くしてしまうんですよ」
オスカーはあまりの言われように眉をひそめ、何事かを反論しようとしたが――――結局そのまま、表情を解いて肩をすくめて見せただけだった。
どうやら本当に今回ばかりは、俺の負けらしい。
セイランはそんなオスカーに、この上なく満足そうな表情になった。
「セイランの言ったことわかるわぁ〜〜〜…………、確かにこれを誰にも見せないまま放っておいたら、宇宙に対する冒涜ひいては女王陛下への反乱にも等しいわよねぇ〜〜〜〜………」
ほう、と溜息をつきながらとんでもない単語を口にするオリヴィエ。
言葉の選び方はともかく、オリヴィエの言いたい内容に関しては同感せざるをえないオスカーだった。
「舞踊だけじゃないよ。ハープにしたって、あなたたちこの人の音楽なんてお茶会のBGMにしかならないようなお優しい音楽しか聴いたことないんでしょどうせ。なんであのバルトークとか弾いてやらなかったの? リュミエール様」
「あの………お茶会などの時には似つかわしくない音楽で弾く機会もありませんでしたし、それに……」
ますますきつくなるセイランの口調に怒るでもない様子のリュミエールは、わずかに口篭もってから言葉を続けた。
「聖地に来る前、友人たちの前で弾いた時に、恐がらせて泣かせてしまったことがあるもので………」
「ああ、なるほどね」
楽しげにセイランがくすくすと笑う。
もはやオスカー達はただ会話を聞いていることしかできない。
「とにかくさっきも見たでしょ? この人はそれ自身で音楽であり、生命のリズムであり、風であり自然であり、光であり闇であり、宇宙そのものであり、芸術そのものであるんだ。この人ひとり居れば100回でも1000回でも何種類でもコンサートが開けるよ」
「それよ!」
唐突に声を上げた夢の守護聖に、残り3人の視線が集中する。
オリヴィエの目はこれ以上ないほど楽しげに嬉しげに輝きはじめていた。
「コンサート。開きましょう。リュミちゃんのソロコンサート。ハープと踊りと、あとたぶん歌も出来るわよね? ほとんど聴かせてもらったことないけど」
「オ、オリヴィエ?」
「いいですねそれ、僕もリュミエール様に弾いてもらいたい新曲があるんですよ。他にもまだ書いてないけどこの間のリュミエール様を見て湧いたものが山ほどあるし」
「あらアンタの新曲つき? サイッコーだわそれ、じゃ決定ね☆」
「セイラン、オリヴィエ!?」
意気投合して舞台衣装も大道具もとどんどん計画の盛り上がる夢の守護聖と感性の教官に、半分パニック状態の水の守護聖。
オリヴィエそんなだとかあらだってこうでもしなきゃ女王陛下への反乱になっちゃうわよだとか諦めなさいリュミエール様だとか、大きくなる一方の3人の喧騒を、炎の守護聖は遠巻きに眺めて………少し、笑った。
それからまだ少し温かいハーブティーを口にしながら、意見を求められれば自分は開催のほうへ票を入れてしまうだろうな、と思った。
少し日の傾いた聖地の午後の風は、まだまだ暖かかった。
■ 「Concert」シリーズ1本目として掲載していたものを諦めて単発化。音楽から離れて長く、すっかり疎くなりました。あ、いえ、昔も精通してた訳ではない。
昔の原稿にもいろいろありますが、これは読み直すのが辛い方の昔の原稿です(笑) ほとんど読み返せないまま再掲載。