■ 幼馴染

 例のふとした事件がきっかけで、長年犬猿の仲であった炎の守護聖オスカーと水の守護聖リュミエールの仲は急激に改善された。

 それ以来、こうやって執務後にオスカーがリュミエールの私邸で過ごすことが増えている。

 リュミエールもこのところ、週末は自分の居館でオスカーが夕食を取るのが当然のように食事を手配していた。

 そのまま水の居館に泊まって、土の曜日や日の曜日を遠乗りやスケッチ、あるいは庭でただのんびりと一緒に過ごすことも、最近かなりの頻度になっている。オスカーの私服なども増えてきて、とうとう水の館の客間の一つがオスカー専用の部屋のようになってしまったほどだ。

 

 何をするわけでもない。

 ただこうやって、執務が終わったあと私邸に訪れ、食事をしたり酒をたしなんだりしながら、その日にあったたわいもない話をしたり、今まで話せなかった昔の思い出話をしたりするだけだ。

 今まで散々対立してきた2人だが、その逆が真であるのと同じように、反感はごく簡単なことで好感に変わるものなのだ。

 まるでパズルのパーツのように、オスカーとリュミエールは有るべき所にぴったりと収まった。ただそれだけのことだった。

 

 そういう習慣をはじめてから、オスカーはリュミエールが随分と子供っぽい一面を持っていることに気が付いた。

 よく子供のように笑うし、気に入らないことがあれば口を尖らせて文句を言う。大の大人がやるようなものではない、子供騙しの遊びに本気で興じる。ことに髪をなでられたり、頬に触れられたりといったスキンシップが大好きらしい。満面にうっとりした笑みを浮かべながら擦り寄ってくる。

 宮殿でいつでも穏やかな顔を見せ、静かに微笑んでいるあの水の守護聖だとはとても思えない。

 そう言ってみせたら、それはあなたも同じでしょうにと、やっぱり子供のように無邪気に笑われた。

 確かに言われてみれば、子供騙しの遊びに本気になって相手になっているのも、青銀色の髪の感触やお返しにと緋色の髪を撫で返してくる手の感触を心地よく思っているのも、全部オスカー自身だった。

 考えてみれば、2人とも子供らしい子供時代というのが欠落しているのだ。リュミエールは幼いころの人付き合いの少ない、両親と年の離れた兄弟との穏やかな生活で、オスカーは少年のころから受けた軍人としての教育で。その反動か、今の生活が楽しくて仕方がない。

 苦笑しながら肩をすくめ、図星を言い当てられたことを表現すると、オスカーは手を伸ばしてリュミエールの髪を撫でた。

 リュミエールは心から嬉しそうにころころと笑った。

 それがオスカーには嬉しかった。

 

 それ以来オスカーは、2人だけのときは遠慮なしにじゃれあうことにした。

 リュミエールもその無言の約束を快く受け取ったようだった。

「とても人には見せられませんね」

 毛足の長いカーペットに寝転がって、リュミエールはひどく嬉しそうに隣に寝ころぶオスカーに笑いかけた。

 ささやかな秘密の共有。

 子供のころに作った秘密基地のような。

 

 オスカーの夜遊びは目に見えて減った。事情を知らない周りの人間が首を傾げるほどに。

 オスカーにとって、女だとか酒だとか夜遊びだとか、そういうものは必要最小限の欲求を満たす程度に扱いが落ちた。

 リュミエールと過ごす時間のほうが全然楽しい。

 ベッドの上での駆け引きよりも、ふわふわのカーペットに寝転がって、水色の髪をもてあそんだり滑らかな白い頬をつねってみたりすることのほうが何倍も充足感を与えてくれる。極上の酒よりも、リュミエールに勧められて水の館の庭で初めて舐めてみた花の蜜のほうがずっと甘い。楽しかった。

 これじゃほんとに、いつも自分が小馬鹿にしている年少組よりもガキだな、とオスカーは思いながらも、それでもやっぱり楽しいと思う自分の心を素直に受け止めた。

 受け止められるようになったのは、たぶん目の前に水の守護聖がいてくれるからなのだろう。ごく自然にそう思った。

 

 いろんなことを話すようになった。昔の思い出、お互いの考え。

 話したいことは尽きなくて、一緒のベッドに潜り込んで一つの毛布を2人で被って話しつづけるようになった。そしていつしか睡魔にまどろみ、どちらからともなく2人で眠りにつく。それは喩えようもない幸福感にあふれていた。

 いちばん最初はやっぱりオスカーもそれなりに気が引けて、カーペットの上で毛布に包まって寝物語をしたのだけれど、そのまま寝て翌朝起きた2人は、いくら毛足が長いカーペットでもやっぱり体のあちこちが軋んでいて、お互いにストレッチをしながら、今度からはやっぱりちゃんとベッドにしましょうねとリュミエールが言ったのだった。そのあまりに無邪気な物言いに苦笑しながら、それでもオスカーはその申し出に従うことにしたのだった。

 リュミエールの体温を近くに感じながら眠るのは心地よい。

 

 ある日の夜も、そろそろ眠くなってきて、でもリュミエールがまだ話したそうにしていたので、2人でリュミエールのベッドに入った。

 リュミエールは話を続けた。聖地に来る前の話。オスカーが見たリュミエールの表情は、心なしか少し寂しそうだった。

 オスカーは手を伸ばし、青銀色の髪を梳くと、肘を立てて上体を持ち上げ、リュミエールの白い頬と目尻に1回ずつ、慰めるように唇をそっと当てた。

 リュミエールは少しだけ微笑んで、オスカーへ体を寄せた。

 オスカーは再びベッドに横になり、リュミエールの体をやわらかく引き寄せて抱きしめた。鼻先の青銀の髪からいい匂いがした。

 額にキスをして、リュミエールの首の下に自分の手を通し、両手でしっかりと抱き寄せた。

 

 抱きしめた肩は、自分の肩が少し余るくらいで。

 でも確かな存在感とぬくもりを持って、自分の中に在った。

 

 

 朝起きて、自分の腕が誰かを抱きしめたままでいるのは、オスカーにとって初めてだった。

 

 

 女性と共にする夜も、事が済めばいつもあっさりと腕の中から手放していていたのに。

 

 

 夜中、自分やリュミエールが寝返りを打つたびに、引き寄せて強く抱きしめなおしていた記憶がぼんやりとある。

 寝苦しかったかとリュミエールに聞くと、すごく気持ちよかったですよまるで海の中にいるみたいでしたと微笑み、ありがとうと言ってオスカーの頬に軽く口付けた。

 あんなものならいつでもしてやると答えたオスカーは、リュミエールの唇の上にそっとキスを落とした。

 それ以来、ベッドで抱きしめて眠ることと、頬や唇への触れるキスとが習慣に加わった。

 

 

 それからどのくらいの日が経ったころだったろうか。

 いつもと変わらない週末、ベッドの中でじゃれあう。くすぐったそうに笑いながらオスカーの口付けを頬に受け、手を伸ばして自分から寄り添ってきたリュミエールの体を、オスカーは少し強めに抱き寄せた。

 リュミエールをベッドの中で抱きしめるとき、自分の体が微妙に欲情していることをオスカーは知っていた。

 そういうものなのだろうと思って、最初から別に疑問も抱かなかった。何しろこの頃はリュミエールのところに入り浸りで、性欲を思う存分発散させる機会が減っている。毎晩のように女性を愛し、情熱を体で表現することが息をするよりも簡単なことであったオスカーにしてみれば、自分の感覚も当然のことと思われた。

 だいたいリュミエールは抱きしめているだけで気持ちがいい。それどころか、軽いキスをしたり頬に触れたりするだけでもひどく甘いものをオスカーに感じさせた。

 至上の美貌、吸い込まれるような深海色の瞳、白くて滑らかで暖かい肌。天に二物とない輝く青銀色の長い髪。オスカーだけに囁きかける声、緋色の髪を優しく梳く手。子供のような純真さ。それが自分だけに向けられているこの時間。

 いつか終わることになるのだろうか、とふとオスカーは思った。

 

 その瞬間、胸がじくりと沁みるように痛んだ。

 

「オスカー?」

 翳を落としたオスカーの表情に気が付いて、リュミエールがオスカーの頬を両手で包み込む。

 オスカーは一瞬躊躇して、それから……リュミエールの両手首に自分の手をそっと添えた。

 そのままゆっくりとリュミエールの手首をベッドに縫い止めて、上から覆い被さるような格好でいつもの触れるキスをした。

 いつもと同じキスと、普段と違うオスカーの表情に、少しだけ戸惑いの表情を見せたけれど、リュミエールは黙って目を閉じ、オスカーの口付けを受けた。

 オスカーはそんなリュミエールの表情を間近で見て、少しだけ深く唇を重ね進めた。

 ぱちり、とリュミエールの目が開く。軽い驚き。けれどもその深海の瞳の中に嫌悪の感情はない。

 それを読み取って、オスカーは唇を重ねたままリュミエールごと横向きに体勢を変えると、青銀色の髪に手を差し入れてリュミエールの頭を抱え込んだ。

 驚いた顔をしているが、抵抗はない。それに安心した。

 リュミエールの下唇を啄ばむように、オスカーは自分の唇を少し動かした。

 リュミエールの口から、あ、と言葉が漏れた。オスカーの脳を打つ。

 もう一度、唇をただ重ね直す。わずかに深く。いつもの乾いた唇とは違う部分が少しだけ触れ合わさっている。

 もう一方の手をリュミエールの背中に回し、引き寄せた。

 そのまま撫でさすり、背中と腰を行ったり来たりさせる。

 背中まで上がってきた手を、そのまま上げてゆき、うなじに這わせ、すっ、と指先で撫でた。

 ぴくり、とリュミエールの体が揺れて、重ねたままの唇から、あ、という言葉が吐息と共にこぼれた。

 リュミエールの頬が上気している。

 

 もう駄目だ、とオスカーは思った。

 

 リュミエールに覆い被さった。開いた唇から舌を差し入れる。甘い疼きに体中が痺れる。耐え切れずに指先をリュミエールの指に絡めた。

 リュミエールの自由な手がオスカーの背を泳ぐ。決して拒否ではない動きで。その手が居たたまれないようにオスカーの服を強く掴んだ。

 深く合わされた唇と差し込まれた舌に、苦しげに溺れるような反応を見せ、最初はただ圧倒的な熱に押し流されて、それでも必死に受け止めようとしていたようなそれに、だんだんと受け答えの反応が見え隠れしだした。追い立てるオスカーの舌に時折どうしていいかわからないような反応を見せ、戸惑いながらも、躊躇いがちに自分の舌を絡めてくる。

 唇を離す。息継ぎの間に吐息が漏れる。熱い。再び深く重ねる。相手の舌を求める。絡まる。何度も何度も。深く求め合い、貪る。

 ―――どのくらいの夢中になっていただろうか。

 ようやく唇を離すと、2人とも、上気した息で大きく呼吸した。

 それから眼を合わせて。

 どちらともなく、笑いがこぼれた。

 最初は小さかったそれが、だんだんと大きくなって。そのうち2人で大きな声で笑い出した。オスカーがちゅ、とわざと音を立ててリュミエールの頬に口付けた。くすぐったそうにそれを受けるリュミエールに、2回3回と重ねてキスを降らせる。笑いながら4度目を避けて、お返しとばかりにリュミエールがオスカーの頭を抱きこんで強く額に口付けた。

 くすぐったり強く抱き寄せたり、……数え切れないほどのキスを交わしたりしながら、しばらく2人でそうやって笑い続けてじゃれあった。

 そうして、ゆっくりと笑い納める。笑みを浮かべたまま、でも少しだけ真面目な顔に戻って、オスカーは自分の腕の中にリュミエールを抱き込んだ。リュミエールの頬を両手で包んで自分のほうに向けさせ、眼を合わせる。

 視線を絡めたまま、唇を近づけていった。リュミエールがゆっくりと目を閉じる。その仕草に愛しさが込み上げる。

 唇が触れ合って、そのまま深く重ねていった。熱い。

 つきん、と甘い疼きがオスカーの脳に走る。

 今までいろんな女性と散々唇を重ねたのに、リュミエールだけに感じるこの感覚。

 ああ、そうなのかとオスカーは腑に落ちる感がした。

 これがただ一人を愛するということなのかと。

 

 唇を離し、もう一度軽くキスしてから、左手でリュミエールのうなじや耳元を探る。滑らかな白い肌。それがほんのりと桜色に色づいている。

 リュミエールの顔を見た。深い海色の瞳は少し潤んで、熱に浮かされたような表情でオスカーを見ている。

 たとえようもなく官能的だ。

 右手でゆっくりと、リュミエールの部屋着の胸元を開いていく。首筋の白い肌。オスカーは吸い込まれるように唇を寄せた。触れた瞬間、リュミエールの体がぴくりと跳ねた。そんな反応が愛おしくて仕方がない。

 一気にリュミエールの躯に溺れそうになる自分に、リュミエールの心と身体を傷つけないため細心の注意を払うよう、残されたわずかな理性に言い聞かせた。

 

 

「目が覚めたか?」

 私の意識が虚空の彼方からようやく戻ってきた時、一番最初に目に入ったのは他と比肩しようのない緋色の髪だった。

 その人の確かな徴が自分の目の前にあることに、笑みがこぼれる。

 自分に覆い被さるように覗き込んでくる氷青色の瞳は、優しく心配げな光をたたえていた。

 ゆっくりと手を伸ばして、その人の首に両腕を巻きつける。

 大きな手と力強い褐色の腕が、優しく私を抱き寄せてくれた。

「すまんな……無理させたか?」

「いえ、………明日一日は、歩けそうにありませんけど」

 身体を隔てていても感じた彼の激情。それを抑え、出来る限りの注意を払ってくれたのだろう、胸元に付けられた彼の所有の印以外に、私の身体に明らかな傷はついていないようだった。それでも初めて触れるお互いの躯にどちらもが追い上げられ、奔放に欲情を交わした名残は、私の身体の軋みとしてあちこちに残っていた。

 お互いが溺れていたのを知っているので、彼はそれ以上謝罪の言葉を言わず、決まり悪そうに笑っただけだった。それが嬉しい。

 首に回した腕に少しだけ力を込めて、彼の肩口に顔を埋め、囁いた。

「全部、あなたに教えてもらったものだから……オスカー」

 そう、全部あなたからもらったもの。私の髪を撫でる、あなたの優しい手の感触も。あなたの腕の中に収まる、染み入るような幸せも。あなたを求める恋心も、その恋心を言葉で、身体で、心で交わす方法も。泣きそうになるほどの甘く切ない交わりの時間の後の、この身体の軋みさえも。

 オスカーはちょっと驚いたような表情を見せてから、……熱くて優しくて深いキスを、私にくれた。

 

 

 オスカーはキスを納め、リュミエールから少し離れた。再び欲情に押し流されそうになる自分を抑える。自分はともかく、これ以上はさすがにリュミエールの身体が持たない。

 その様子を読み取ったのか、リュミエールがオスカーの腕の中に収まったまま、くすくすと笑った。オスカーにはそれが愛しくてならない。

 まったく、この人には敵わない。

 苦笑して、リュミエールの髪を梳き始めた。リュミエールが視線を上げてくる。

「リュミエール」

「はい」

 返すリュミエールの表情は限りなく優しい。

「なんとなく、順序が違うような気もするが……」

 少し躊躇う。

 重ねた身体からリュミエールの想いは自分に伝わっていたが、自分の都合のいい思い込みではないかという一縷の不安はやはりある。言ってしまったがゆえに、この人を失うようなことになるのが怖い。

 オスカーは一度目を瞑って、ゆっくりと呼吸してから、目を開けて視線を合わせた。

「おまえを愛している。……俺だけのものになってくれ」

 オスカーのその言葉を聞き納めると、リュミエールはゆっくりと目を伏せた。

 どきり、とオスカーの胸が跳ねる。やはり言わないほうがよかったのだろうか?

 不安に渦巻くオスカーに、リュミエールがゆっくりと口を開いた。

「ひとつだけ、お願いがあるのですが……」

「何だ?」

 リュミエールが伏せていた目を上げる。その瞳の中に不安げに揺らめく光に、オスカーは再びどきりとした。

 リュミエールの手が伸びて、オスカーの首に絡まる。身を寄せてくる。吐息のような囁きがオスカーの耳元から聞こえた。

「私が言えるような事ではないとわかっているのですが……でも、もう、…あなたが、……他の女性のところへ行くのを見るのが辛いです……無理は言いません、あなたが出来るだけでいいですから……私の、傍に、いてください」

 最後は消え入りそうな声になった。

 オスカーは驚いて、リュミエールの方を見た。リュミエールの視線は居たたまれないといったようにオスカーから逸らされている。

 次の瞬間、リュミエールは息苦しさを覚えるほどに強く抱きしめられた。

「おまえしかいらない。」

 熱い声で囁かれる。激情を押し殺したような声で。

「おまえが手に入ったから、もう何もいらない。他の女なんて抱けるわけがない」

 そう言って、もういちど震えるほどに強く抱きしめた。

 それから、ゆっくりと腕の力を緩め、腕の中のリュミエールと視線を絡める。

「信じられなくても無理はないと思う。俺は今までそう思われても仕方のないことをしてきたし…だけど。本当だから。何年経っても絶対に裏切らないから」

 両手でリュミエールの頬を包む。

「俺は、おまえだけのものだから。だからおまえは、俺だけのものになってくれ」

 永遠のように感じられた、一瞬の沈黙のあと。

 リュミエールの顔に、まっさらな微笑が広がった。

 オスカーは、長い時を経てようやく手に入れた魂の半身を抱きしめながら、この時のこのリュミエールの微笑を一生忘れることがないだろうことを確信していた。

 

 恋はまだ、始まったばかり。

 

 


■ 有り得ん設定。こんなに仲良くなるほどのふとした事件っていったい何なんだ(考えナシ)。

自分の煩悩炸裂しまくりなだけの作品。ワタシ的創作の基本。ああ、水様になって炎様になでなでされたい、炎様になって水様の髪に触りたい。抱きしめて寝たらさぞかし気持ちよかろう。

タイトルの意味は「幼馴染をやり直す2人」のつもり。未だ上げ初めし前髪の林檎の元に、みたいな感じで。