「よぉ、オリヴィエ」
「こんにちは、オリヴィエ様」
綺麗な青空の下、宮殿の中庭のテーブルに先にいた同僚は年少組とルヴァの4人。たまに聖獣の宇宙の守護聖が来ることもあるけど、あっちもあっちでそれなりに忙しいから今日はいないみたいだし、女王陛下と補佐官殿はとある事情があってきっと彼女らの執務室あたりにいて、ジュリアスとクラヴィスはどうせ来ないだろうから、残りはオスカーとリュミエールだけってことになる。ちゃんと来るかな、リュミエール。
テーブルの上にはどっしりとしたレトロな造りの、ラジオ。あ、本物のラジオ。スクリーンじゃなくて、ちゃんとスピーカーの付いてる、普通の。
呼び掛けの声の方に軽く手を上げて応え、私もラジオの近くの椅子を引いて掛けて、改めて空を見上げた。
良く澄んだ、高く綺麗な青い空。いい天気。だけどまあ、今日の今回もどうせ長続きしやしない。予言しとく。
ここはリュミエールの暖かく優しい夢の中じゃない、あのお転婆な金色の髪の女王陛下の坐す、本当の聖地だったから。
「あ」
誰かの上げた声に視線を巡らせてみれば、遠くから、手を繋いでこっちに歩いてくるオスカーとリュミエール。うわーって思ったけどよく見れば、手を繋いでるっていうより、オスカーがリュミエールを引っ張ってきてるんだと判った。
あ、リュミエールがオスカーの手を振り解いて。で、そこで二人で口喧嘩? ていうか痴話喧嘩? 今?今更? はいはいそうですかー。
やがてふいと身を翻したリュミエールが、諦めたのか開き直ったのか、目元を少し赤く染めて先にこっちに歩いてきた。オスカーは後からゆっくり付いて来ている。
「……ごきげんよう」
私達の所まで来てから、リュミエールは集まってる私達の方を見て、顔をうっすら赤くしたまま、何とも言えない微妙な表情で一応挨拶をした。
「いらっしゃい、リュミエール。ほらほらそんな端っこに座らない、こっちこっち。主役でしょ。」
「あの、そろそろ、この会合もお終いにしませんか……?」
「何言ってんの。皆んな毎週楽しみにしてるんだよ。私達だけじゃない、全宇宙的にも史上空前の大ヒット番組でしょ、もはや。いい加減諦めなさいな。」
「…………」
リュミエールが紅潮の増した頬を片手で覆った頃、オスカーがようやく着いて、無言のその涼しい顔で皆と同じように椅子に掛けた。
もうそろそろ、番組の始まる時間だ。既にスイッチの入っていたラジオの選曲をもう一度きっちり合わせる。
『……、全宇宙のリスナーの皆様、こんにちは。『愛を謳う光円錐』の時間です。本日はここ、惑星アルミナスよりお届けいたします。
今回は光円錐の到着まで今少しの時間が見込まれますので、それまで、すでに皆様、よくご存知のこととは思いますが、改めまして『愛を謳う光円錐』について解説いたします。
大質量星として名を馳せていた恒星アルゴールが突如として謎の重力崩壊によりブラックホールを形成し、そしてまた突如として、不可解な大量の放射を発した事象より話は始まりました。その原因を探るべく、光の速度で進む放射を各星系で観測している最中、天文学者たちは、その放射が電波としての性質を有していること、また、その電波をテレビやラジオで復号化した際、実に不思議な事に、その星系の言語で『愛している』に相当する音声が受信されることを見出したのです。
すべての光、すべての通信と同じく、この放射は一点より光の速度で拡大する球面として宇宙に広がりつつあり、その広がりを縦・横の二次元の平面で表すと円形に、また一点から広がるその円形の拡大の様子を、平面に直行する時間軸を用いて表すと、この放射の経路は一点を頂点とする円錐形で示されます。時間の経過に伴って拡大を続け、各星系に到達しては愛を謳うこの放射は、やがて『愛を謳う光円錐』と呼び習わされるようになりました。その不思議な音色は、どの星系のどの言語であっても、美しく深く純粋で、我々の心に直接響き、聴く者すべてを魅了して止みません。
さて、ではそろそろその放射、光円錐がこの惑星に到達する時刻です。皆様、光円錐が謳う愛の謳を、どうぞお聴きください。』
皆も黙って、私も目を閉じて、ラジオから流れてくる音に耳を澄ませる。
聖地に吹く心地よい風も、今だけは止んでいる。
……………………
……………………
……………………
……現地の惑星の言語だから言葉としては当然判らないんだけど、その音色はいつも歌声のような旋律で、涙が滲みそうになるほど深く切なく、優しい。
『……皆様、いかがでしたでしょうか。きっと皆様の心にも深く響いたことかと思います。
さて、では前回の放送から本日までに各地の惑星で収録された、光円錐の様々な愛の謳を続けてお聴きください。』
「あの、もう、消してもいいですか……?」
「駄目」
真っ赤な顔して懇願っぽく言うリュミエールの言葉を、皆の代表で一蹴する。とはいえ聴くなら、まあ録音したやつもいいけど、やっぱり生放送のがずっと心に滲みる。
「光円錐が広がるにつれて放射の強度はだんだん弱くなってってんだけどよ、放射がこれから先に到達する予定の惑星じゃ、光円錐の愛の謳が聞きたいばっかりに放射の受信準備にこぞって力を入れ始めてるらしいぜ。惑星内の天文学会の協力体制構築のために、国家間のいざこざがとりあえず収まった、ってところが、ひとつやふたつじゃねぇってさ。」
「凄いね、リュミエール。さすが優しさを司る水の守護聖様。声ひとつで争い事を収めるなんて、守護聖の鑑じゃないの。」
「……………」
ラジオから流れ続ける愛の謳と私の誂い混じりの言葉とに、リュミエールはもうテーブルの上に突っ伏して微動だに出来ないでいる。いや、ちょっと茶化して言ってはいるけど、割と本気でそう思ってるんだよ? 私。
それでその愛の謳のただひとりの本当の対象であるところの、炎の守護聖は、何かしらフォローを入れるでもなく、ましてや照れるでも恥じるでもなく、平然とした顔でラジオから流れる謳に耳を傾け続けていた。
リュミエールの夢の中と違って、この本物のオスカーはほんっと優しくない。今回の件も、原因のかなりの部分はそもそもいつまでも自分の想いを認めようとしなかったこいつの所為だよね。
まあその分、夢の中に比べて相当に愛情過多らしいけど。相当に。
リュミエールが事象の地平線の中へ堕ちて、私は皆と一緒にサクリアの引き上げをしながら、朦朧として夢を見てた。
多分、リュミエールの意識をこの世界に留めさせようとして無意識に使ってた夢の守護聖としての力と、リュミエールの無意識が望んで見てた夢とが共鳴して。あの時間だけに限って言えば、こっちのオスカーよりも私の方がずっとリュミエールに近いところに居たんだと思う。
永い永い夢。
「夢が一人で見られるものだと思っていたか」、と、あのオスカーは言った。
夢の守護聖であるとはいえ、その真偽の程は判らないけど。例えば私が、故郷の雪と氷に閉ざされた冷たい星で果てしなく永い時を過ごして、この聖地の皆と交わした素粒子がとうの昔に消え去って、そうして夢を見た時、あなたたちの事を思い出せるのかどうかは定かじゃないけど。
だけどもしリュミエールが、もしくは私が、また今回みたいな事態に陥った時、リュミエールの夢の中に私が、私の夢の中にリュミエールが出てきて欲しいと思うから。だから未だテーブルに突っ伏したっきりの水色の髪を、何度も撫でた。
リュミエールは赤い顔のままちらと私の方を見た。オスカーは露骨に嫌な顔をする。
いいじゃないの、オスカー。不確定性原理が許す範囲の素粒子を交わすことくらい、許してくれたって。好きなだけリュミエールを独占してるくせに。
あの後、聖地に無事に帰ってきたリュミエールをまだ大勢が取り囲んでる真っ最中、痺れを切らしたオスカーがリュミエールの腕を引っ張ってって輪の中から連れ出した、ていうか連れ帰った、たぶん私邸に。
あの炎の守護聖が、無言で無表情で、そしてぼろっぼろ泣いてたから、流石に皆、誰も何も言えずにそのふたりの背中を見送った。
感情を爆発させたオスカーがそれからリュミエールに何をしたのか、たとえ想像したところで、まあ野暮の極みでもあり、自明の至りでもあり。それから1日半、ふたりの姿を見なかった、とだけ言っとく。1日半でひとまず切り上げたってのは結構頑張ったほうじゃないかな。残り半日分を休暇にしてしまわずに登殿したのはリュミエールが遠慮してのことかしらね、やっぱり。
ただ、これまで視線を合わせることすらままならなかった最愛の存在と、目を合わせて、触れてもいい、抱き締めてもキスしても、徹底的に好きなようにしてもいい、そして何より、それを相手からも心の底から望まれてる、っていうのが、どれだけ幸せでどれだけ甘やかなことか、考えてるとついうっかり羨ましくなっちゃいそうにはなる。
ただまあ、経緯が経緯だっただけにまだ落ち着くには程遠いらしく、それからというもの、宮殿やら庭園やらの物陰で強引に水の守護聖を抱き締めたりキスしてたりする炎の守護聖を、まあ一度ならず見かけて、この間とうとう
「迷惑だ」
と無表情で発言するクラヴィスを見た。目撃しちゃった、四者会談。
「だからといって、休暇で外界に遣るなど……」
こっちはジュリアス。要するに外界との時間差を利用してまとまった時間を二人にやれ、っていうことらしかった。
恐縮しながら固辞するリュミエールと、反対するそのジュリアスとを目の前にして、オスカーはリュミエールの目を見、その手を握って
「そうか? 俺はずっと、お前と時を過ごしたかった。海の波も潮騒も、一面の向日葵畑に差す夕焼けも、吹雪も嵐も、いつだって、お前がここにいればと、お前と共に見たいと願っていた。」
なんてことを、真剣な目して言ったものだから、リュミエールはこれ以上ないほど赤面し、ジュリアスの顎はかっくりと落ちたまま、
「……だから迷惑だと言ったであろう」
と無表情に言葉を重ねたクラヴィスとを、辛うじてその場を離れてから後で思い出して死ぬかと思うほど笑った。
結局その計画は実行の運びになったらしく、近々3日ほど二人で休暇を取る、という風な話を、さり気なくオスカーから聞いた。
場所にもよるけど、聖地の一日と外界との時間の流れの差は、最低でも数十日相当。
海の波、向日葵畑、吹雪、嵐、朝焼けに夕焼け、天の川の星々、遊園地に水族館、花火、噎せ返るような暑さ、凍える寒さ、腕の中の人の微笑。
それでもオスカーなんかは、足りない、って言いそうだと思った。これまで隔たってきたひとと、同じ時間を過ごすには。
まあ頃合いを見て、希望すれば、また行けるんじゃないかな。あの白い翼の少女が、この宇宙の尊き女王陛下である以上は。
「あ」
また、誰かが声を上げた。ほらほら、来た。
空はすっかり灰色の雲に覆われて、ぽつ、ぽつ、と雨粒が落ち始めた。見る間に雨粒は増えて、あっという間に本降りの気配になる。
「アンジェリークぅ!」
慌ててラジオを持ち運んで皆と一緒に宮殿に引っ込みつつ、笑いながら私が言った。あのね、あの子、光円錐の愛の謳を聞いてると、思い出して泣いちゃうんだって。で、皆の前だとそれが恥ずかしいって。だからいつも放送はロザリアと二人で、別の場所で聴いてる。可愛いでしょ?
ここは暖かいだけの夢の世界じゃない、意外で波乱に満ちていて、皆がいて、こんなにも楽しく幸福な世界だった。
「罪が深いな、リュミエール。宇宙を統べる女王陛下を毎回毎回お泣かせするとは。」
雨を払ってたら、オスカーが皮肉を効かせてそんな事を言った。ほんっと余計な小憎たらしいことを。そういうところは相変わらずだね。
「……大変申し訳ありません。それでは早速、女王陛下のお心をお慰めしに参上することにいたします。」
頬を染めたまま素知らぬ顔で身を翻しかけたリュミエールを、オスカーは片手で肩を抱いて引き戻し、その唇に深々と口付けた。