■ Selfish Gene

「今晩、よろしいでしょうか?」

 予感がしていたから、今夜はテラスへの掃き出し窓もカーテンも予め全開にしておいた。早い時間の夜闇の空気から琥珀色の仄明るい室内へ、顔だけ覗き込むその水色の姿に向けて、俺はベッドに横になったまま無言で手招きして手元へ呼び寄せる。

 嬉しそうな顔を見せる割にはのんびりと、室内へ入ってこちらに近付くローブ姿の、いっそ朴訥なほどにゆるゆるとサンダルの編み上げ紐を解いてベッドへ上がろうとするその途中で、いい加減にこっちが焦れて上半身を起こし、その身体を抱き寄せた。微笑いながらベッドに乗り上げたリュミエールの両腕が優しく、しかし俺の実体を確かめるような程度にはしっかりと俺の身体に廻される。夜風に少し冷えた身体に、触れ合った部分から互いの体温の温かさを感じた。

 口付けをして、上下を返してその躰を埋め、そのまま慌ただしく、とりあえず一回抱いた。

 

 目を閉じて満足の溜息をいた唇にゆるく唇を重ね滑らせて、力の抜けた細身の淡い躰を上に乗せ、軽めに抱き締める。青銀の長い髪が溢れて俺の身体に落ち掛かった。

 夜はまだ夜半に差し掛かったばかりだった。開いたままの窓から差し込む月は中天を早くに過ぎた十三夜で、聖地のまろい温度と湿度に少し朧ろとして霞んでいる。

 故郷の草原の星は寒暖差が激しく、夜は常に冷え込むから、見上げる数個の月々はいつも冴え冴えとしていた。

 腕の中のこいつが故郷の海洋の星で見た月は、幾つの、どんな月だったのだろうか。

 

 こんな関係になっても想い合う者同士ではない、という事実は、可笑しいような正しいような、幾許かの胸苦しさを伴う不思議な心持ちがいつも付き纏う。

 関係だけで言えば、互いの就任後のかなり早い時期からだった。

 まだどちらもが十代だったその頃、今日と同じ十三夜の月に誘われるように外へ出たら、噴水のふちに腰掛けたリュミエールが月光に照らされ、茫洋とした音色でハープを爪弾いていた。声を掛けたら、こちらを見上げた深海色の瞳はよりによってうっすらと涙を浮かべ、月の光を弾いていた。

「…どうした」

と、辛うじて平静を保って尋ねたら、暫くの逡巡を見せた後、

「……このようなこと、貴方にお願いする筋合いでないとは判っているのですが…」

と前置きされた上で

「私を、抱き締めて下さいませんか」

と言われた。

 後から落ち着いて考えるととんでもない申し出という気がしたが、その時はごく自然で、むしろ予想すらしていたようでもあった。ハープをその手から降ろし、立ち上がらせて、躰を密着するようにして抱き締める。応えるように俺の脇の下から背中へ廻された腕が、きゅ、と僅かに締まり、両の掌がぴったりと俺の背に沿った。白い頬と鼻筋が俺の首筋に押し付けられる。

 僅かの隙をも残すまいとするそれは、何を求めているか、どうして欲しいかが明瞭に判る仕草だった。人の熱を、鼓動を、肌触りを求め、飢え、感じさせて欲しいと切望していた。これ以上ないごく素直な感情の発露だった。

 存分に応えてやった。力一杯抱き締め、掌を背に、腕に、うなじに滑らせ、髪に手をくぐらせ、額を合わせ、瞼を寄せ、指を絡めて、吐息を交わす。そのひとつひとつに、万感の想いを込めたリュミエールの確かな反応が返る。

 そう言うなら若気の至りと言ってもいいが、止めようがなく、その頭を両手で抱え込んで奪うように唇を重ねた。これだけ全身を使って愛撫すると、唇に何の感覚も無いことが不自然にすら感じるものだ。さっきまでのリュミエールと同じように、今は俺がその感覚に飢えていた。

 最初だけ軽い抵抗があった気がするが、もうその頃には自分の意識が先行していてあまり把握しなかった。深々と唇を合わせて舌を忍び込ませると多少の戸惑いが返ってきたが、その戸惑いは拒否のそれではなく、どう応えれば共有感覚を返せるのかを探る戸惑いだった。いくらかの遣り取りの後にやがて馴染んで、浅い、深いキスのひとつひとつにこの上なく的確で甘い反応が返る。聡明な生徒のように。

 教えてやればどこまでも素直に吸収すると気付いて、あとはもう人目の付かなそうな辺りに引きずり込んで、なるべく柔らかそうな場所を選ぶのがやっとだった。それから後はただひたすら、言葉にならない感覚を与え続けて、学んでは返ってくる感覚を受け取り続けた。

 これまで幾人もと躰を交わしてきたが、リュミエールほど全身全霊で真っ直ぐに全てを受け入れ、素直に反応を返してくる相手は他にいない。格別、という言葉の通り、肌触りからいらえまで、何から何までがすべて桁違いの極上の経験だった。流石は守護聖、ということか、と、脳の片隅でいささか場違いな感想を抱いたりもした。

「…ここまでしていただくつもりは無かったのですけれど」

 私邸に連れ帰って改めてベッドの中で抱き締めていた最中、そう呟かれて、今更ながらやり過ぎたかと慌てかけたが、

「でも、ありがとうございました。大変お上手ですね。…多分。」

 そう言われて安堵しつつも、一気に色んな思考が入り乱れ、とりあえず一番気になった箇所を最初に問い直す。

「多分、てのは何だ。不満でもあるのか。」

「比較対象にできる他の経験がありませんから。申し訳ないですが」

「………」

 あっけらかんとした初体験の自己申告に、そうだろうな、と改めて思いつつ、この余りにもの素直さを考えると念押ししておかなければならない事があった。

「申し訳ながらなくていいから、他の経験なんてするなよ。俺だけにしておけ。クラヴィス様あたりにうっかり『お願い』なんて絶対にするな」

 リュミエールが軽く目を見開き、宙を見て考えを巡らせ始めたので

「想像するな、俺だけにしろと言っている」

と告げて、唇を塞いで進行中の思考を止めさせた。リュミエールは笑いながら、律儀にキスの返戻を寄越した。

 つらつらと話を聞くに、故郷の海洋の惑星では家族やごく親しい者同士で肩を抱く、手を繋ぐ、顔や髪に触れる、抱き締め合う、時には軽いキスもするという身体的接触が日常茶飯事だったのに、聖地へ来て以来そういうものの一切が絶たれたのがずいぶんこたえていたらしい。なるほど、と思った。この上なく清らかな水の守護聖様にうかうかと物理的に接触しようとする者はそういないし、身体感覚の欠如は神経系の安定に想像以上の深刻なダメージを与えるから、責められるべき類の話でもなかった。

 おそらくこの頃に最もリュミエールと接触が多かったのはカティスで、奴か、下手をすると俺の想像した通りにクラヴィス様が相手になっていたかもしれない。年齢差がリュミエールを躊躇わせていた可能性もある。この時代にオリヴィエがいたなら、まず間違いなくリュミエールは俺より先にオリヴィエに頼んでいただろう。一方でリュミエールにしてみれば、俺の性的な交友関係が相当に派手である、という噂が、この申し出の壁の高さを下げていた面が間違いなくあったに違いなかった。大勢の中のひとつの些細な申し出、に紛れることができる可能性。

 最後まで遂行されたのは流石に想定外だったようだが、海洋惑星では性的規範にも同性愛にも大して厳しくなかったようで、初めての経験ではあったものの、欠乏していた身体的接触が想定以上の十二分に満たされたことを喜んですらいるようだった。温暖な気候の惑星らしい大らかさだ、と思った。文明というものが茶々を入れることはあるが、往々にして気候と性的関係の認容度は相関する。

「…そう仰るということは、またこの次、貴方にお願いできるという認識でよいのでしょうか?」

 俺の腕の中にうずめられたまま、鼻先と頬を、すり、と俺の胸元に摺り寄せる、その甘い仕草と優しい肌触りにぞくりとした。この次、がいつになるかは知らないが、単純に人の熱を求めるだけのこいつの欲求がそうそう頻繁であるとも思えず、この次どころか毎日でも独占したいと思った俺の想いは仕舞い込まざるを得なかった。

 代償となる条件を探った挙句、

「……俺以外に肌を触れさせないと約束するなら、お前の好きな時にいつでも付き合ってやる」

と言ったら、リュミエールは再度目を見開いて、

「何ですか、それは」

とさも可笑しげにくすくすと笑ったから、やっぱり判っていない。

 それ以来、リュミエールはこうやってただ俺に愛されるためだけに、ひとつきかふたつきに一度くらいの頻度で俺のところへ来ている。今でも。

 

 その後に徐々に判明した事実は、互いの気質としての相性は相当に悪い、ということだった。

 会議の場などで意見が一致する事などまず無い。俺は奴の案を生温いと言い、リュミエールは俺の案を苛烈だと言う。

 事情さえ許せば双方の意見が採用されて共に実施されるのだから、殊更に対立する必要はないのだが、その場合でも結果的に実行された相手の案を快く思っていないのは互いに明白だった。

 俺にとっての挨拶はリュミエールに軽口と取られ、リュミエールの挨拶は俺にとっての慇懃無礼になる。どこまでも相性が悪かった。

 ただそれとは関係なく、俺とリュミエールとの交渉は続いていた。そろそろか、と思う頃に、月光に照らされた水色の姿がふわりと訪れる。言葉少なに導き入れ、あとは全身全霊で肌の感覚を交わす。

 言い争いなどした日の夜に、しゅんと消沈した顔でわざわざやってくる事もあるくらいだった。ただこれについては仲直り云々がという訳ではなく、殺伐とした神経に人恋しさが募っただけであって、俺以外の肌を交える相手がいればそちらの方に行っていただろうという程度の話でしかない。

 わざと喧嘩を吹っ掛け、予想通りにその晩の来訪を受けたこともあるが、意図が外れた時の空虚感と、何よりその同じ時間にどんな思いであいつが過ごしているのかを考えるのがきつ過ぎたから、直ぐにそれは辞めた。

 いずれにせよ、どれだけの年月を経ても、躰を交わす一時のリュミエールの、その恐ろしいまでの素直な反応はどこまでも変わりなかった。最初のあの夜から、今日こんにちに至るまで。

 格別だったはずのそれを物足りなく思い始めてきた事に、気付こうかどうしようか、未だに迷っている俺がいる。

 

「…お前の星には、幾つの月があった?」

 寝物語に他愛ない言葉を交わす。昼間と違って、何かの拍子に険悪になる可能性を考慮しなくていい気安い時間だった。

 主星および主星上に位置するところの聖地の月は1つだが、宇宙全体の固体惑星の平均と比べるとこれは例外的に少ない方で、通常は2つから4つ、俺の故郷の草原の惑星には小型の3つの月があった。周期が異なるから、同時に見える月の数は夜ごとに異なっていたが。

聖地ここと同じく、1つでしたね。けれどここよりずいぶん大きくて、衛星の直径が惑星の80パーセント。視野角が2度もあって、ほぼ、連星でした」

 俺の上で話す甘い中域テノールの言葉が、互いの胸壁を通して直接響いてくる。しっかりとした青年男性の身体付きで、論争の最中などは憎くすら思うほどに凛として芯が強いのに、この時間の時には淡いという印象が常に付き纏う。

「潮汐力がとても強くて、周囲の海と同様に月齢の影響を生物やヒトが強く受けていました。満月や新月の時には身体が浮くような印象さえしたものです」

 首筋の髪を掻き上げてやりながら、思い当たる節があった。いつかの昔のスーパームーンの時、こいつの瞳の色が少しいつもと違っていた気がする。夜を共にして陶酔が深かったから、覚えている。

「…不思議だと思いませんか」

「何がだ」

「これだけ惑星間の環境が異なるのに、そのいずれもで46本の染色体を持ったヒトが発生しているというのが。…女王陛下、もしくは宇宙自身の意志と言われていますよ」

 それは誰でも、一度は抱く疑問だった。異なる惑星系なら、進化学的には同じ形態、同じ遺伝子を持つどころの話ではなく、遺伝という機構自体が全く異なる生命体が発生していて当然なのだ。特にその惑星が有する衛星の質量や個数の違いは、生命の形成に無数のバリエーションを与える。ところが同じ構造、同じ思考形態のヒトという種が、あまねく宇宙に自然発生している。星間航行を達成して主星文化圏に組み入れられた星系の人類が、まず最も驚くのはその点であるという。火龍族などヒト近縁の種もいるが、それとて文化や思考形態にヒトとの大差はない。

 ヒトやヒト類似以外の生物種が守護聖となる所を想像するとどうにもぞっとしないから、幸いといえば幸いではあった。

「…もっとも、守護聖が守護聖である間の染色体は一倍体だとか三倍体だとかいう話が、まことしやかに言われてますけれどね」

 それも聞いたことがある。根拠としては、サクリアという人に非ざる特殊な能力を有するという事実もさりながら、主には、守護聖の任期の間は子供が生まれない、という点にある。

 健全な成人男性を長期間にわたって一地域内に強制的に拘束するのであるから、それなりの設えが用意されている。決して表に出る類の話ではないが、各守護聖の私邸で働く女性には「そういうこと」があるかもしれない事を、彼女ら本人も承知で折り込み済みでの任用になっている。であるのに、在任中の守護聖に子ができたという話はこの永い聖地の歴史でついぞ聞いたことがない。

 つまりは、一種の奇形である守護聖と、それを囲うための聖地という場所。

「貴方がどこまでも貴方なのに、まだご子女ご子息がいらっしゃらないんですから、結構な信憑性がありますよね」

 どういう意味だ、と問おうかとも思ったが、発言の意図するところはこの上なく明白なので敢えて黙っておいて、その言葉に物寂しくなった唇へ、俺の上から覗き込むリュミエールに無言のまま目線だけで要求する。やはり無言で返された柔らかい微笑は、言葉にするなら「どうしたの?」だ。少し甘い、それでいてどこまでも無邪気な。

 優しく降ってくる口付けを、たまには為されるがままに享受する。ちりちりと滲みるように痛み始めた胸の内には気付かない振りをして。浅くて肌触りを優先した、少し物足りなくて追いたくなるキスが重ねられる。

「進化生物学について学んだことはありますか」

 一通りの口付けの後、俺の首筋に顔を埋め、溜息のようにリュミエールが呟く。

「多少はな」

「Y遺伝子は、Y遺伝子という己自身の継承と拡散のために、身体を支配し、闘争と怜悧をもってより多くの異性を獲得する。生物学的には貴方の方が、とても正しいのです。」

「……別に嬉しくはない。」

「私の方が歪んでいる、と言うべきでしょうね。争いを避け、異性としての女性に心動くこともなく、しかしながらこうやって、貴方の好意には甘える。…判っているのです。」

「……」

「男性という性の競争原理に従って、私の遺伝子はこの身限りで淘汰されるでしょうから、気に病むことでもないのでしょうけどね」

 細めた目で遠くの時を見、空を仰ぐように身体を伸ばす。いつか自由になるその日へ、無意識のうちに近付くように。身体の動きに連れて稀有な青銀の髪が俺の上空で波打つ。

 俺の内で跳ねる脈拍は、そろそろ無視を許してくれそうにない。

「…俺はお前の子供が見てみたいがな」

「そうなんですか?」

 現在いまに引き戻されて、心底意外そうという口振りでリュミエールが俺の顔を見返した。俺の言葉に交じる境界線には、おそらく気づいていない。残念なことに。

 綺麗な水の守護聖様は目を細めて、かくも綺麗に微笑った。

「私の子供なんて、想像できないですね……あなたが退任後、美しい奥方とたくさんの子供たちに囲まれている姿なら、いくらでも想像できますけど」

 思わず目を閉じた。臨界を超えた記念すべき瞬間。

 そうか、よくぞ言った。覚悟は出来てるんだろうな。

 身を起こしながらリュミエールの両腕を掴み、引っ繰り返してその身を自分の身体の下に敷き込む。

「…俺の噂は聞いてないのか」

「貴方の? さあ……何でしょう?」

 こいつ、本当に俺自身には興味がないんだな。多少なりとでも気に掛けていれば、容易く耳に入っただろうに。

「聖地の歴代の呪縛を打ち破って、とうとうお子ができましたか。貴方なら有り得そうですけど」

 ころころ笑う。後でのお仕置きがひとつ増えた。

 ベッドに埋もれたまま楽しげに問いかける瞳を、唇と瞼への軽いキスで促して閉じさせる。甘く伏せられた瞼と睫毛を確認し、一呼吸置いてから、言った。

 

「……もう、お前以外との人間とはここ一年寝ていない」

「…」

「愛している、リュミエール」

「……」

 

 うっかり眠ったかと間違えるくらいの間を開けてから、リュミエールが飛び起きた。予想していたから覗き込んでいた顔を衝突しないように一旦引いて、これ以上なく目を見開いて硬直するリュミエールの顔に改めてにじり寄る。

「えとえとえっと、聴き間違いですよね、え?」

「なんて聴こえたかは知らないが、何度でも言ってやる。愛している、リュミエール。俺にはお前だけなんだ、もう」

「あいし……」

 数瞬の間を置いて、大輪の開花を早送りで見るように頬を真っ赤に染める。

「そんな、一年って、だって私、時々しか来てませんのに、だってその間は、てっきり他の女性方がいると、え?」

「気にするところはそこか。お前を想像しながら独りでしてたって聴きたいのか?」

「……」

 あ、一瞬意識が飛びかけてやがる。本当に気を失うなよ、積もり積もった言いたい事はまだ山程あるのだから。

「勃たないとは言わないが、他の誰かと寝たところで嬉しくとも楽しくともくともないんだから仕方が無いだろう。」

 自分が本気になったのだと気付いて、けれども無邪気なお前に何も言えず、諍いは相変わらずで、そしてたまの夜のお前の訪れにこの上なく心を乱されながら平静な振りをして、俺がこれまでにどれほど、どれだけ、どんな思いをしてきたと思っている。

「お前以外精神的性的不能にされた事の責任は取ってもらう」

「ふの……責任、取るって、ええっとごめんなさい、あ、ここ謝るところなんでしょうか、その、責任ってどうすれば」

「俺を愛して。」

「………」

 深海色の両の瞳を見開いたまま、俺の言葉の意味がその身体に染み渡る、細波さざなみのような音が聴こえた気がした。

 両手を伸ばして、ゆっくり、ゆっくり抱き締める。

「オスカー、…、…ぁ……」

 俺の掌が触れた肌からの、おそらく経験がない感触に明らかに戸惑っている。腕の輪を閉じていく過程で、胸元辺りまで朱に染めて火照るリュミエールの躰から、その熱で初めて香る甘い良い匂いが立ち昇った。

「…お前にこれから教えることはいろいろあるが、まずひとつ教えてやる。こういう行為は、愛情によって全く次元の違う体験になるってことだ」

「オスカ…」

 言葉を続けさせないまま唇を塞いだ。リュミエールの鼓動が恐ろしく早く、呼吸も熱っぽく浅いから息が続かずに切れ切れに唇が重なっては離れる、そのひとつひとつごとに躰を震わせる。いい傾向だが、まだまだ足りない。

 唇を首筋に滑らせ、抱き締める両手でその熱い全身を愛撫しながら囁き続ける。

「愛してるよ。もう帰さない、離さないからな。……なあ、このまま二人で一緒に暮らそう。お前がいいなら皆に公表したい。執務だって、想い合えるならきっと上手くいく。結婚する? 俺、お前との子供が欲しい。王立研究院の遺伝子工学ジェネティック・エンジニアリングなら何の問題もない。どうしても生体で出産しないとって言うんなら、俺が腹膜妊娠で産んでもいい。」

 狩猟採集生活で小規模の集団生活と小規模の一夫多妻を、農耕生活で極端な階級社会と巨大なハーレムとを形成し、文明を得て一夫一妻と不貞まみれの社会を経験した挙句、広大な宇宙を制し、ナノテクノロジーを制して、ヒトはとっくの昔に遥か次のステップへと進んでいる。

 リュミエールは初めて経験する肌の触覚の刺激と、注ぎ込まれ続ける聴覚の刺激との混乱の極みで涙目になって、途切れ途切れの小さな喘ぎ声を上げながら、俺の言葉にいちいちその涙目を白黒させるという状況にある。

 ひたり、と俺は全ての動きを一旦止め、身を離してリュミエールに問うた。

「…嫌?」

「……」

 火照った顔の、深海色の涙目で見詰め返される、その永遠のような一瞬、待った。

 唇が、喉が乾く。人並みに緊張する。長い間綺羅きらびやかに繰り広げてきた恋の数々が、たった一人に収束する瞬間。

 愛しい人は、泣き出す寸前までその綺麗な表情を崩して、答えた。

「もっと、教えてください…」

 

 力の限り抱き締めながら、脳裡で想像する。俺がこれまで積み上げ続けてきたあらゆる願いのひとつひとつを、とろりとした表情と声で「……ん。」とひとつひとつ受諾する水の守護聖。

 想像でなく必ず実現させてやる、と誓った。これまで数え切れない程の女性に振り向けてきた炎の守護聖の手練手管を、ただ一人だけに注ぐのだ。出来ない訳がない。

 

 十三夜の月は傾き始め、時は夜半を過ぎた頃。

 宇宙そら統治しろしめすあのお転婆な女王陛下は、誰よりも俺達の事を喜んでくれるだろう。

 すべて世は、事も無し。

 

 


■ 何気なく呟いた「ただ愛されるためだけに炎さんの所に来る水さん」でついつい短編、でした。脳内プロットすら立てず成り行き任せに書いていったらば、ピロートーク→そこ突っ込んじゃ駄目でしょの諸々→コメディ、でオチました。

 タイトルに反して、読んだのは「利己的な遺伝子」じゃなくて「赤の女王」。ボリュームがあって大変だけどおすすめです。